矢車草の夢

矢車草の夢

美術家酒井紀子のプライベートブログ。
CRPS&QT延長の暮らしとたまに制作日記です。

自分の夢しか追いかけない。
好きなものに囲まれて暮らす。
そんな日々のブログです。
たまに制作、たまにガーデニング、たまにお菓子作り、たまに病気の事、たまにパートナーの事。

よろしくお願いいたしますニコニコ

Bleu et bleu NORIKO SAKAI

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元に 戻ろうと思う

 

ここに再びきたのは

 

ただ 事務的な事だけだった

 

すごく傷ついてやめたから

 

もう戻らないと思っていたけど

 

 

でも

 

やっぱり 変わってなかった

 

人を差別することも

 

人を貶めるところも

 

 

心が ばらばらになっていく

 

ジグソーパズルのピースのように

 

崩れていく

 

 

だから

 

元居たところに戻ろうと思う

 

今までお世話になったひとたちに

 

ありがとうを

 

 

そして

 

さようなら アメーバ

 

もう戻らない

 

さようなら みなさん

 

 

 

 

こんにちは。

 

コロナの影響でいろいろなニュースが飛び交い、何が本当で何がまやかしなのか、判断力も鈍りますね。

 

わたしも身体の不調にこのところの暑さもあり少々ぐったりしていますが、これは大事だなと思ったので重い腰を上げてブログを書く事にしました。

 

今回はまた、メンタリストDaigoさんの動画から。

 

わたしが思っていたことをまたもや理論的に解説してくださってたので、読む方もその方が客観的に見られると思い、引用させていただくことにしました。

 

「コロナでもキャンプやパチンコに行く人の心理」

 

これは、この人との距離感を取らなければいけない時に、どうしてそういう行動をしてしまうのか?という解説です。

 

人間には昔々から、何か災害などあった時に、群れて行動するという心理があります。

 

震災などを思い浮かべてもらうと分かりやすいかと思いますが、何か不安を抱えるような事があった時に、人は身を寄せ合って難を乗り越えるという習性があるんですね。

 

なので、不特定多数の大勢でキャンプをしたり、人が集まるパチンコへ行ったりするという分析です。

 

でも、このコロナ禍の中では、ソーシャルディスタンスを守るという、この習性と相反する規制が必要になりました。

 

歴史上かつて殆どないこの矛盾に、人類が様々な戸惑いを感じるのは当たり前の事なのです。

 

だから、自粛警察と呼ばれる人たちが非難するのも、これまた仕方のない事なんですね。

 

その解決策としては、やはり「誰かとつながっている」という感覚が大事になりますので、今ならオンライン飲み会でつながったり、SNSを使ったりという交流によって、人と人との連帯感を感じるのが大事だという事です。

 

とても分かりやすいお話なので、是非ご覧になっていただきたいです。

 

メンタリストDaigoさんの動画はこちら↓から。

 

 

 

 

こんにちは。

 

ベランダで緑の作業をしていると、いろんな発見があります。

 

先日ベランダの模様替えをしました。

 

その時、何故か花が付かなかった鉢を日陰に持っていったら、いっぱい蕾が付いたとか。

 

その植物の特性を知る、いい機会になりました。

 

あんまり日に当てすぎてもダメなんだな、とか、水をあげすぎても枯れちゃうんだなとか。

 

わたしは学生時代、彫刻をしていたので、例えば彫塑をする時は、対象物をあらゆる方向から見ます。

 

絵の素描は一点から見たものを描きますが、彫塑で素描というのは、対象物をぐるぐると回して見て作っていきます。

 

とある大学の試験で編み上げ靴の粘土での素描という課題が出たのですが、その時も靴をぐるぐると回して見ていました。

 

多方面から見る事により、いろいろな特徴を知る事が出来ます。

 

また、それまで自分が思い込んでいたのと違う事が多く、人の普段の観察眼というのは当てにならないんだなとその時思いました。

 

一方向から見た、或いは、普段見える側からの形の想像しかしないんですね。

 

中が実際どうなってるのかとか、重いのか軽いのか、素材の触った感じはどうなのかとか。

 

これって、他の物を考える時にも、実は役に立つんです。

 

物事を多方面から考えるという思考は、人々のそれぞれの見え方だけでなく、人や物を見る時に、どう対処したらいいのかという方法論をいくつか自分の中に提示することが出来るようになります。

 

まず、この多方面から見るという事が出来るようになって得をした事は、人の隠れた能力を見抜けるになったという事です。

 

仕事にも対人関係にも、使えるスキルになります。

 

他の人は見ていない、或いは気づいていない事を、自分だけが見る事が出来るという事ですから、対人、主に個人的な交友関係にはとても重宝した長所です。

 

他の人が気付かない人の傷を見ることもあるので、そういう時はその原因を調べ元を正します。

 

こういう面では少し損を被る事もあります。

 

でも、それでよくなる事があるなら仕方ないかなと思います。

 

先日クリティカルシンキングの事を少し書きましたが、あの思考のように「疑う」というより、もう先に全部見ちゃうという事でしょうかね。

これはこう見えるけど、実はこうじゃないの?っていう思考には、ある意味限定があります。

 

でも、最初から全部見ようと思っていると、そういう事は必要なくなるんですよね。

 

素描する事は、見た中から情報を取捨選択する能力も自然に身につくので、わたしはそちらのほうがいいなと思います。

 

歳を取ると、頭が固くなると言いますが、物事を多方面から見るという事は、今でも大事だなと思います。

 

これは立体を触っていた人間ならではの考え方なのだと思います。

 

これからもそういう視点は失いたくないなと、ふと緑を触っていて思った事でした。

 

永遠って何だろう?

 

そんな事を考えてたら ふと思い出した

 

シェイクスピアのソネット

 

人は昔から 「永遠」がテーマだった

 

 

 

 

Sonnet 18

 

Shall I compare thee to a summer’s day?

 

Thou art more lovely and more temperate:

 

Rough winds do shake the darling buds of May,

 

And summer’s lease hath all too short a date:

 

Sometime too hot the eye of heaven shines,

 

And often is his gold complexion dimm’d;

 

And every fair from fair sometime declines,

 

By chance, or nature’s changing course, untrimm’d;

 

But thy eternal summer shall not fade

 

Nor lose possession of that fair thou ow’st;

 

Nor shall Death brag thou wander’st in his shade,

 

When in eternal lines to time thou grow’st;

 

So long as men can breathe or eyes can see,

 

So long lives this, and this gives life to thee.

 

 

あなたを夏の日に例えようか

 

いや あなたはより美しく よりたおやかだ

 

荒々しい風は 可憐な五月の蕾を揺らし

 

輝かしい夏は あまりに短い

 

時に 強すぎる太陽が照り付けて

 

また時に その顔を曇らせ

 

その気まぐれで 自然を持て遊び

 

美しいものを衰えさせる

 

けれど あなたの夏は 永遠に色褪せる事もなく

 

美しさを失う事もない

 

死神に黄泉の国へ 誘われる事もない

 

この詩により あなたは永遠の時に繋がれる

 

人々が生きて息をし見続ける限り

 

この詩は生き続け あなたに命を与え続ける