N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ- -53ページ目

旅先から持ち帰った涙

相方が26日から今月初めまで、
アムステルダムに旅行に行っていた。
ほぼ毎年恒例の両親との旅行だ。
大体両親の結婚記念日が自分の誕生日が同じなんで、 
秋に行っていたのだが今年については、
お母さんがなんと70の大台に乗る記念の誕生日なんで、
今年はお母さんの誕生日の4月にパリに行くと、
クリスマス休暇でイングランドに行った時にはほぼ決まっていた。

しかし相方の両親の尻の重いこと、重いこと...。
ってか、飛行機や電車での長時間移動が大嫌いなんだよね。
それを知ってる俺っち達はアメリカに来ること程度が、
相方父・母の限界点だという事も理解しているので、
決してそれ以上になる移動の必要な場所へ行こうとは提案しない。
なので大抵行き先はヨーロッパ圏内と決まってくる。

それが2月に親子内での電話会議で(って単なる電話)、
パリがアムステルダムに変更になったのだ。
当然、変更理由は「近い」から...。(T_T)
(それしかないか...)

それでそこでアンネ・フランクの事を初めて詳しく知ったらしく、
現地で英語版のアンネの日記を買ってきて、
帰国後毎日チョロチョロと読んでいた相方。

毎日ギターの指の練習をして、物理+数学を勉強して、
それからお茶を飲みながらこの本を読んで寝るという感じだったが、
ここんとこ落ち込み気味だったのが気になってた。
それが昨日落ち込んだ雰囲気で赤い眼でリビングに来たので、
一体どうしたのかと聞いたら、

































泣いてた































と相方はぽつりと言った...。(T_T)
相方は今迄本を読んでこれ程悲しくて酷いと思った事は無かったと、
また涙ぐみながら如何に酷かったかを思い出し乍ら語った。
なんて、純心...。
俺には無いものと言って過言でないこった。

俺っちも小学校一年生の時に大人版のアンネの日記を読んで、
余計に戦争反対支持になったと相方に伝えると、
相方は俺っちがアンネの日記を読んだ事があると、
知らなかったと驚いていた。
(子供の時の事だから、知らなくて当然)

うちの家系には原爆で死んだ親族が居るので、
如何にそれが酷いものであったかという事は常々聞かされて来た。
だからアンネの日記はそう思っているのは日本人だけじゃないんだと、
反戦に対しての世界の人の意見を聞いた気がした本となった。

やっぱり世界の人達って日本人が思っている程、
ああいった本を子供の頃から読むことも無く育つという事が、
相方を以って実証された。

勿論一点を見て全てをそうだとは思わないが、
こういう事は英語を子供の時から教えるよりも、
もっともっと大事なことだ。
大人になってからでも遅くは無いが、
大人になれば損得で物を考え、時間に振り回されがちだ。

だから先入観もそういう縛りも無い時に、
学校教育等できっちりと子供達に教えては、
戦争の恐ろしさと無駄な命など無いと教えねばならないと思う。

当然世界の何処かで、日本の何処かでして居るかもしれないけど、
今以上日本人をアホに育てる必要はないし、
色んな本を与え、眼に見えるものだけでなく想像力豊かに育てる為に、
もっと色んな意味で躾ける事を親も真剣にやらねばならないだろう。

暖かいココアを用意して、相方の気持ちが落ち着くまで色々話をし、
気持ちが凪いだところで床に就いて貰ったが、
今回相方と話してみてまた考えさせられる所も有ったので、
今度日本に行った時にもう一度アンネの日記の本を買って、
読み返してみようと思った出来事だった。




アンネの日記(日本語版)


アンネの日記(英語版)


生まれたのがあの時代で、

ユダヤ人だっただけなんだよ。

才知ある女性になり、母になり、

それらを自分の子供に、

きちんと伝えただろうと思う、

女の子の心のうち。