イギリスの悲しみ | N e w  Y o r k B l o w -NYでもタコ焼きを焼く英国人へ-

イギリスの悲しみ

家で晩ご飯の支度をして居ると、
相方が元気の無く涙を浮かべてキッチンへ来た。
相方の大好きなサッカー・プレイヤー、
ジョージ・ベストが亡くなったというのだ。
相方程サッカーの知識が無い私には、
??のプレイヤーだった。

しかし当時まだ日本では、
マイナー・スポーツだったサッカーを見るのが好きだった私は、
的外れな時間に見たサッカー中継に映っていた或る人を、
相方の話を徐々に聞いていくうち、
段々と思い出していくのだった...。
(アレ、三菱ダイヤモンド・サッカーだっけなぁ?)

相方が全くの子供の頃、
イギリスで飛び切りのスター選手だったのが、
マンチェスター・ユナイテッドの
キャノン・シューターのボビー・チャールトン、
ジャック・ナイフ・ヘッドのデニス・ロウ、
そして最高のゲーム・センスと技術と美しい容姿を持った、
ジョージ・ベストだったのだ。

相方曰く、今のベッカムやルーニーなんて目じゃない、
神様と言われたペレ以上、
マラドーナなんてプーって言う位の選手だったそうで、
老若男女、エリザベス女王までもが知る、
英国サッカー界の、いや、
文字通り「世界のスーパー・スター」だったのだ。

黒髪を靡かせてフィールドを駆け抜ける美しい姿と、
奔放な発言は当時の時代の象徴のビートルズに掛けて、
エル・ビートル=5人目のビートルズとも言われた。
当時、皆が皆、「天はニ物以上を彼に与えた」と言わしめた位、
溢れる才能、劇的なゲーム展開、美しく撓やかな容姿は、
あっという間に彼を頂点へ連れて行ったものの、
頂点を極めたその後の彼の人生は、
そこから転げ落ちていく一方だった。

映画の中のリチャード・ギアを、
余裕で凌ぐ本物のプレイ・ボーイ振りは、
人間の快楽を貪り楽しい反面とても破滅的なもので、
そんな状態は彼をどんどん怠惰・消耗させ、
現役時代から止められなかった酒を、
止めるどころかどんどん煽るように飲ませていった。

依存症になったベストは、
何度も医師やカウンセリングに通い更生を計ったが、
どうしても止める事が出来ず、
2000年に倒れた際に、
「これ以上1滴でも飲めば死ぬ」と忠告されたにも拘らず、
そのまま飲酒を続け、とうとう2002年には肝移植をした。

だがそれでも飲酒が止められなかったベストは、
今年1月に飲酒運転で逮捕される始末。
勿論移植された肝臓は労わられる事は無く、
どんどん悪化の一途を辿り、
亡くなった方のこれ以上無い最高のプレゼントで手に入れた、
生きられるチャンスを無駄にして居た。

10月の初めに体調を崩して、
ロンドン市内のクロムウェル病院に入院し、
一時は状態が好転したが、
20日頃から危篤状態に...。
既に主治医は回復の見込みがない事を明かしていたが、
第一報が報道されてから沢山のファンが病院の外に駆けつけ、
ベストの回復を祈ったがそれは届かぬ願いとなった。








入院後のベストの状態を報道陣に語る、
担当医のDr.アキール・アリサ(L)と、
ロジャー・ウィリアム教授(R)。











ベストの入院している
クロムウェル病院に駆けつけた、
ボビー・チャールトン(L)と
デニス・ロウ(R)。








24日病院に駆けつけ、この24時間がヤマだと、
担当医から聞いた事を話す、
見舞いを終えたボーツマスFCの、
ミラン・マンダリック。







家族と親しい人に見守られて
亡くなった事を公表した遺族。
兄弟のバーブラ、父のディッキー、息子のカルム、
エージェントのフィル・ホール、
そしてデニス・ロウ






ベストの死後、クロムウェル病院を去る、
デニス・ロウ。
険しい顔つきが彼の悲しみを表している。












遺族が発表したベストの
訃報に接し涙する、
クロムウェル病院へ集まった、
ベストのファン達。








病院の外で最後の祈りが
届かなかった事を知り、
泣き崩れるファン達。












ベストのジャージに花と、
現役時代の彼のプレイに賛辞を送った。









亡くなった
クロムウェル病院の外に、
手向けられた花を
見詰めるファンの一人。
一体何を思いながら、
見詰めているんだろうか。






夜になっても
病院にファンが詰め掛け、
花を手向けたり、
キャンドルを灯していた。





病院の外に手向けられた
品々の中に見える夕刊紙。
亡くなった当日の、
トップ記事はベストの訃報。
一面の全面写真の大きさが、
彼の国民的人気の
不滅さを物語っている。




葬儀の写真に見立て
たマフラーと写真。
「7番目の神として召され、
そのポジションは
もう埋まっている」
と書かれている。






ファンのヴィクトリア・
ブラウンさんは、
北アイルランド・
東ベルファストの
ベストの実家を訪れ、
花を手向けた。






その後も次々と
ファンが実家を訪れ、
ベストの死を悼み、
花を手向けた。





訃報に接し、
マンチェスターの、
オールド・トラッフォード
競技場に駆けつけた
ファン。
マンUのマフラーを、
柵に掛けて帰った。







その後も続々と
ファンが競技場を訪れ、
夫々の思い出を
馳せていた。








よく晴れた空の下、
競技場の柵に、
メッセージを書き込んだ
ジャージを吊るした、
ベストのファン。







吊るされたジャージには夫々、
「思い出を有難う」
というメッセージが
入れられていた。








競技場の片隅で、
祈りを捧げるファン。
先に訪れたファンの
残したメッセージを、
祈りの後に読んでいる。




花のリースを手向ける、
小さな子。
柵に掛けられない程、
手向けられた品々。
こんな小さなファンも居る程、
彼の人気は
イギリスに浸透していた。








ベストを追悼して寄せられた花や、
ベストに関連した多くの品々。
ファンの愛情が彼方此方に感じられる。









競技場の外れの社で
祈るファン。
どの年代にもファンが居る
スター・プレイヤーなんて、
本当にレアだと実感する。





オールド・トラッフォード
競技場は、
あっという間に隙間無く
花や追悼のメッセージで
埋められた。








ベストの訃報を聞き、
兎に角競技場を訪れた
ファン。
59歳の死は、
皆に衝撃だった。





手向けられた花に
つけられたメッセージ。
「沢山の喜びを与えてくれて
 有難う。あなたは
 子供から大人になっても、
 僕のヒーローだった。
 あなたの事は決して
 忘れないよ。
 あなたとあなたの家族に
 愛を。」




オールド・トラッフォード
競技場で、
記帳に並ぶファン達。
イギリスにも日本同様、
記帳の習慣がある。




生まれ故郷の
ベルファスト市庁舎で、
記帳をするファン。
FCがするのではなく、
「市」が主導権を執り、
記帳所を設けていた。
地元の誇りだという事が、
よく現れている。




27日ロンドンの
アプトン・パークでの
対ウェスト・ハム戦前に、
ベストの死を悼み、
その功績に対して拍手を
送る
マンUの選手達。



当日は競技場内の
巨大モニターに
大きくベストが映し出され、
マンUのチーム・メイトだけでなく、
アプトン・パークの全ての人が、
ベストの功績に対して
拍手を送った。









セレモニー終了後ポジションについても、
まだベストが映し出されていた。











マンUの試合に同席した
嘗ての名プレイヤー、
ボビー・チャールトン(R)と
トレヴァー・ブルッキング(L)。






リヴァプールのグディソン・
パークでのエヴァートン対
ニューカッスルU戦でも
巨大モニターに
ベストを映し出して、
選手・観客・関係者の
全ての人が拍手を送り、
彼の死を惜しんだ。




グディソン・パークの
巨大モニターに
映し出されたベストに、
選手・観客・関係者皆が、
哀悼の意を表した。






ポーツマスの
フラットン・パークでの
チェルシー対ポーツマス戦の試合前に、
哀悼の意を表し皆で祈る
チェルシーの選手達。










厳しい表情のミラン・マンダリック
ポーツマス・チェアマン。














この日ゲームに勝った
チェルシーのマネージャー、
ホセ・マウリノは黙って哀悼の意を表した。









サンダーランドの
ライト・スタジアムでの
サンダーランド対バーミンガム・
シティ戦でも
選手・観客・関係者全ての人が、
哀悼の意を表した。






ロンドンの
クレイヴン・カッテイジでの
移籍した中田英寿の在籍する
ボルトン・ワンダラーズ対
フルハム戦でも。





マンチェスター・スタジアムの
マンチェスター・シティ対
リヴァプール戦で
黙祷を捧げる、
マンチェスター・シティの
嘗ての名手
マイク・サマービー。





リヴァーサイド・スタジアムでの
ミドルズボロウ対
ウェスト・ブロム戦でも選手は、
ベストに敬意と哀悼の意を
表した。




ロンドンのハイベリーでの
対ブラッカム・ローヴァーズ戦で、
黙祷を捧げるアーセナルの
選手たち。




ローマの
オリンピック・スタジアムでの
ローマ対フィオレンティナ戦で、
サポーター達が
海の向こうのイギリスへ向けて
「さよならジョージ、
君のサッカーは最高だ」と
伊語で書いたボードを掲げた。






1965年オールド・トラッフォードの
マンUのスタジアム前でのショット。
若いし、60年代そのもの!
相方の言う「超ハンサムだった!」
と言う言葉を信じる事が出来た一枚。
アラン・ドロンも顔負けやん!





1967年ファースト・
ディヴィジョン・マッチ。
マンUとアーセナル戦での
ベスト(右2番目)、
アーセナルの
ジョン・ラドフォード(右)、
フランク・マクリントク(右3番目)、
マンUのパディ・クレランド
(左4番目)。
見事に飛んでんでー、スゴッ!






1968年ユーストン駅で
ヨーロピアン・カップ優勝杯を、
笑顔で抱えるベスト(右)と
パット・クレランド(左)。
真ん中は監督のマット・バズビー。










1969年のベスト。
コレじゃ女の子は、
もうメロメロだなぁ...。
女の子にとっては、
正に「赤い悪魔」だな。













1975年NYの
セントラル・パーク
近くでリフティングをする
ベスト。
ビージーズを思わす
髪型と髭。
時代ですなぁ...。









1976年アメリカ
LAアズテック時代の
ベスト(L)。
ヤンキー・スタジアムで
NYコスモス時代の
ペレ(R)にパスを出した
北米サッカー・リーグ・
ゲームでの1コマ。






訃報の第一報後、花束を捧げ、
北アイルランド・ベルファストの
ウィンザー・パークに描かれた
ベストを見上げる、
No.7のジャージを着たサッカー少年。
北アイルランド・英国での、
サッカー人口とファン層の厚さを実感する。
オン・タイム世代じゃないのに、
それに一線を退いて何十年にもなるのに、
その存在を大切に思われているなんて。
彼の存在は、過去の人ではなかったのだ。









マンチェスターの、
オールド・トラッフォードの
グランドに有る、
ネーム・ブロックに供えられた写真。
こんなにも尊敬され、
愛されたサッカー選手は、
居ないと言っても過言ではない筈だ。
安らかに眠って下さい。












George Best

1946-2005