わたしは世田谷の成城大学10階の研究室にいました。
横揺れの収まらない中、この地震の震源はどこなのか、気がつけば数分を経過していることに異常を感じていました。
何とか揺れが収まったところで窓の外を見ると、今も思い出すのは不気味に静まり返ってモノクロに見えた街の風景でした。
あまりの静けさに、何故地震が起きたのに誰も、何も騒いでいないのだろう。
不条理な景色が広がって自分の感覚がわからなくなりました。
非常階段を降りて1階に出たそこには東北のその時が映し出されていました。
でもその時のわたしは、家族が今どうしているか。これからどうやって家に帰ったらいいのだろう。そのことしか頭にありませんでした。
メールがやっと繋がると息子がわたしを車で迎えにきてくれるというのです。
余震で何度も停車しながら渋滞を越えて自宅につくと、神戸の友人からメールがきて『水を確保して‼️バスタブには沢山水をはって』と。
阪神淡路大震災で経験した素早いアドバイスでした。
でも冷え込み、お風呂に入りたかったわたしはお湯を溜め身体を沈めました。
すると涙がとまりません。
緊張がとけたからなのか、あまりのショックに涙の整理はつきません。
大震災
まるで歴史の出来事のように受け止め、
まさかわたしが経験するなんて思ってもみなかったのです。
誰もがなんでこんな目にあうのか!
まったくわからず、自分に降り注がれた非情を受け止めきれずにいました。
神様は何のためにこんな試練を与えるのか。
わたしたちから奪うという試練を。
あまりの大きさに意味を解釈することが出来ないまま今もいます。
でもこの震災もスピリチュアルで見解したり、宇宙の法則で解いたり、地球のエネルギーでこうだと言ったりしています。
わたしたちの多くはそれを知らず、
また馳せることもままなりません。
少なくともそれは人が乗り越えられて、自分以外のこともわかるようになったなら、通じる話かもしれません。
多くの人はわかりません。
それをどう傷ついた人と共有していけるのか。
難しくなく、高みでなく、生活感覚で、明日からも生きていく人に対して、どう傍らに在ればいいか。
人間だから、
人間の悲しさがまず最初にあることを、
本能としてわかるようでありたいです。
亡くなられた方の御霊と、
いま生かされているわたしたち。
どちらも魂の存在であるわたしたちは
隔てなくいつもともに在るのです。
みずほ