一.
その日の放課後。楓は、風紀委員会室にいた。
今日は入学式だが、風紀委員は忙しい。今朝のように、新入生をいびる輩が出るからだ。そのため、なにが起きても駆けつけられるよう、風紀委員会室には委員全員が集っていた。皆、部屋の中央にある机につき、思い思いにくつろいでいる。
「いやー、今年も見事な生徒会長挨拶だったな、拓哉」
グローブを嵌めた手で野球ボールを弄びながら、体格の良い青年が口を開いた。三年生の証である漆黒の学ランに身を包んだ彼は、早乙女紫《さおとめゆかり》。我らが風紀委員の副委員長である。
因みに、白帝学院野球部の四番ピッチャー。勿論、誰もが認めるエースだ。
副委員長の視線の先には、ひときわ華やかな容姿の優男がいた。椅子に長い足を組んで悠然と座っている。
色素の薄い茶髪と白い肌。日本人離れした顔つきと相俟って、童話に出てくる王子様のようだ。
彼こそが学院を取り仕切る生徒会長兼風紀委員長、木村拓哉である。
「 まあ、去年もやったからな。それに学校行事で挨拶をする事が 多かったし、もう慣れたよ」
委員長は肩をすくめて、やれやれと苦笑した。
「俺の兄貴分があと一年入学が遅ければねぇ……」
「ま、二年生にして生徒会長兼風紀委員長はきついよな」
「……木村先輩の兄貴分ってどんな方だったんですか」
楓の隣に座した友人の安藤涼風《あんどうすずか》が問う。
特にこれといった特徴のない、平凡な外見である。あえていうならば、眼鏡がチャームポイント。
「んー……、そうだな」
委員長は顎に手を添え、所謂考える仕草をした後、楓に顔を向けた。
「俺の弟分の楓チャンはどう思う?」
「……は? なんで俺にふるんですか」
「いや、何となく」
委員長はくすりと含みのある笑みを浮かべ、前髪をかきあげた。その仕草すら、妙に決まってみえる。
ーーこんなカリスマ性に溢れた人が俺の兄貴分だなんてな……。
一年生の時に委員長に半ば無理やり委員会に入れられたが、かえは未だにそれが信じられずにいる。
白帝学院では創立当時から生徒の自主性を重んじており、教師が生徒の学院生活に積極的に介入することはない。その為か、昔から1人の上級生が目をかけた1人の下級生に生活指導をしていくルールがある。他の生徒との区別をつける為、互いに「兄貴分」「弟分」と呼ぶことがある。
明治時代頃の男子校では兄・弟と呼び合うことは珍しくなかったというから、歴史ある学院故のシステムなのかもしれない。
「ま、今の時点では楓チャンが次期風紀委員長最有力候補なんだから、少しでも参考にしてたほうがいいんじゃないか? 俺の兄貴分は結構優秀な先輩だったし 」
委員長の言葉に、副委員長が聞き捨てならぬ、と眉をひそめた。
因みに、副委員長は涼風の兄貴分だ。
風紀委員のメンバーは自然と兄弟の関係である者で構成されている。表面上は風紀委員長の指名でメンバーを構成しているが、実際は委員会メンバーの委員長への推薦による者が多い。
副委員長は不満顔で委員長に抗議した。
「おい、拓哉。来期の委員長候補は、楓チャンだけじゃねえだろうが。うちの涼風にだって委員長になれる可能性はある」
風紀委員長の指名によって決まるのは次期委員長を決める時も同じで、風紀委員メンバーの中から委員長が相応しい者を選ぶ。
その為か、毎年必然的に前委員長の弟分が委員長に指名されているのだ。
「言っておくが、次期風紀委員長の決定権は現委員長の俺にあるんだからな。諦めなさい」
「なっ、職権乱用だぞ!」
二人の上級生が、言い争う横で、水野悠《みずのはるか》が小さくため息を吐き、目を伏せた。長い睫が陰を作る。彼は、女性と見紛う程に整った顔立ちをしていた。
だが、そんな悠にはある問題がある。
「痴話喧嘩か……、御馳走様です」
悠はまごうことなき腐男子なのだった。
手を合わせるその表情はどこか嬉しそうだ。
「水野先輩、毎日俺らの兄貴分で妄想するの止めていただけませんか」
楓が顔をしかめて注意すると、悠は表情一つ変えずに首を横に振った。
「無理、萌えは僕の活力だから。それに、イマイチ君らのカップリングには興味わかないんだよねー」
「ーー誰も興味を持てとは言っておりませんが?」
苛立ちで顔をひくつかせる楓の肩を、悠がドンマイ、と軽く叩いた。
……その時である。
「失礼致しま……うわわわわぁ!」
奇妙な悲鳴をあげて、1人の生徒が転がりこんできた。
藍の制服に身を包んでいるー新入生だ。
金糸の髪に、小動物を思わせる仕草や表情。
楓にはイヤと言うほど見覚えがあった。今朝体育館裏で助けた新入生だ。
彼は直ぐに体勢を立て直し、呆然としている委員会メンバーに、深々と頭を下げた。
「いきなり申し訳ありません。実はある委員会メンバーの方を探しているんスけど」
嫌な予感が、した。
楓は慌てて学生帽をひっつかみ、深くかぶりなおした。
しかし、あろうことか新入生はとんでもないことを口にしたのだ。
「白鳥楓先輩は、いらっしゃいますか?」
「ああ、そいつなら」
委員長がつかつかと楓に歩み寄る。
「ほら、なに隠れようとしてんだよ。可愛い後輩に呼ばれてるぞ」
「あっ、ちょっと!?」
止めるまもなく、委員長の手が、帽子をとりあげた。
瞬間、新入生の瞳が輝いた。
「あ、やっぱりこちらにいらっしゃったんスね! 今朝はありがとうごさいました! 助けてもらっといてなんなんですけど、実はお願いがあるんス」
「……何だ」
楓は押し殺した声で呟いた。
本当はイヤだと即答してやりたかったが、委員達の目がある。さすがになにも聞かずに断るのは憚られた。
「じ、じつはオレ……貴方に一目惚れをしたんス!」
「……は?」
真っ赤な顔で何を抜かしているんだ。
楓は冷や汗が身体中から吹き出すのを感じた。
そんな楓の心境を露ほども知らない新入生は更に言葉を続ける。
「だ、だからオレを舎弟にしていただけますか!」
しん、と部屋が静まり返った。
「……つまり、弟分にしろと」
楓は身体を怒りで震わせつつ、言った。
普通、下級生から上級生に弟分にしろと申し込むのはありえない。
この学院の上下関係に厳しい校風からして、当然のことである。
上級生が下級生を導くのが、学院の伝統であり、美徳なのだから。
「……面白いことになってきたね」
背後で委員長が楽しげに笑う。
益々苛立ちを募らせた楓は、新入生をきっ、と睨みつけた。
「……で」
「……で?」
きょとんと見返す新入生の顔面にけりをお見舞いした。
「でていけーっ! 二度と来るな!」
新入生を廊下に蹴り飛ばし、ドアを閉める。弾んだ息を整えながら、ドアから部屋に視線を移した。
「……で? 返事はどうするの楓チャン」
委員長が訊ねる。
「言うまでもなくNOです」
「えー、可愛い子だったのに」
「ツンデレ受けと後輩わんこ攻め……なかなか良い組み合わせだなあ」
「悠……お前またへんな妄想してるなよ、拓哉と俺も困ってるんだよ」
「俺は悠が楽しけりゃあそれで」
「拓哉……話がややこしくなるだろう」
好き好きに話す風紀委員会幹部達を尻目に、楓はため息を吐いた。
「また、来るかもな」
いつの間にか楓の横にいた涼風が、囁くように言う。
「は、上級生の俺が怒ったんだ。もう来ねえさ」
「どうかな」
一蹴する楓に対し、涼風は不適な笑みを浮かべた。
「多分あきらめ悪いぜ、あの金髪くん」
まさか。
どくん、といやな予感で胸が高鳴る。
楓の頬を、つう、と一筋の汗が伝った。