突然の訃報から、自分も死んだようになって3か月。
寒気到来で真冬の寒さを感じつつ、天満宮様の早咲き梅の開花でシーズン到来の予感を感じます。

 

 

ニュースでは神奈川の降水量の激減で津久井湖の貯水量が22%の状況との事。
映像では沼本も休業、中村の台地もしっかり陸地に。

 

 

ふと、


「BLCCで状況を聞いてこなきゃ」

と思うも、すぐ現実に戻って再びまた落ち込んでいく。
黒沢氏となら、こんな会話をしていたと思う。

「TVの映像ぐらいの減水って、結構昔からあったよねぇ?」
「何度だってあるよ」
「記録的な減水だと昭和57年のダム工事があったよね?」
「そうそう、あの時流木が邪魔になるからと言って立ち木を全部切ってしまった」
「観光前の立木群、全部切っちゃったたんだよね。バイクで見に行ったよ」

 

黒沢氏と話すと、数十年前の出来事を昨日のように話し出す。
もう、そんな話が出来ない事が、たまらなく寂しい。

 


 

近況ですが、
昨年9月に、お店用に借りていた倉庫を解約し塗装ブースを自宅の仕事部屋に移転しました。



しかし、出来上がったトンボを黒沢氏に見せる事が第一のモチベーションだった故、翌月の突然の訃報でモチベーションが消沈。

もう、痺れて震える手でエアブラシを持つのが辛い。
また他の方に塗装をお願いしようかと思いつつ、黒沢氏はトンボに関しては私が塗った方をいたく気に入ってくれていた。
だから塗りも仕上げも私がやるのが理想なのだと思う。ただ、売るほどは作れないかも知れない。
(ずっとお待たせしている方の分は必ず作ります。)

 


 

今年の初夢は、かなりリアルな釣りの夢。
相模湖のオーバーハングに重めのミノーを放り込み、小気味良いひったくり感。
ベイトロッドを持つ左手に、引きが一番楽しい40cm前半のバスの引きの重みを感じる。
僅か1~2分間だが、夢の中で幸せな時間に浸る。

闘病で日ごろ釣りを忘れがちな自分の深層心理で、まだ釣り師を引退するなとゴーストがささやくのだろう。
モチベーションを上げるため、昔のフィッシング誌をオクでポチった。

1979年6月号
(※刊行物の掲載や記事の転載は著作権的にグレーゾーンである事は承知していますが、今回は文化的ドメインとしての釣り文化の紹介として掲載させていただきます。問題があれば削除致しますのでご連絡ください。)

憧れだったアメリカ。

 

 

この号が出た後、みんなロッドを大げさに左右に振ってラインスラックと闘うようになっていた。
A Twist of the Wrist.
羽鳥さんのビデオを見て、ようやくみんな手首の重要性を知ったのだったと記憶している。

 

 

 

ストラクチャーという言葉が使われ始めた頃。
今では餌釣りでも一般化したこの用語、昔はバサーしか知りませんでした。

 


右頁ニルズマスタールアーの広告。
その後管釣りで名をはせるインビンシブル登場。

憧れだったバグリールアー。
当時の黒沢氏のUMCOには大量に入っていた。
当時はDB2とか3とか言わずにダイビンBなどと呼んでいた。
キラーBはキルRBと書いてある。


小田急ハルク中2F。
当時は階段の途中の踊り場的な場所にお店がありました。
初めて行ったとき、大学生ぐらいのお姉さんが「CFOIII欲しい!」と叫んでいて、さすが都内のショップと息を吞みましたよ。

金沢八景から乗り継いで一度だけ行ったヤマザキさん。
ザラIIが入荷したとの広告を見て買いに行きました。

 


初心者がまずは始める入門フライ。
翌々年の芦ノ湖で初めて釣れました。

 

実家小田急相模原から2駅隣の町田に有ったニッタイ。
ルアーやフライ用品が沢山ありました。
本店は麻溝あたりだったかな。

町田ニッタイで当時は石井泉さん、南裕二さんが店員として働いていました。
当時の流行で口髭ヒッピースタイル。
翌年末、お店が潰れてお二方は村野さんとともに「町田キングフィッシャー」を開店。
東京・神奈川のバスフィッシングの発展に貢献しました。
南さんはその後磨呂ルアーで独立され、ティムコのレッドペッパー、マッドペッパー等ノトスシリーズ立ち上げ協力。
石井さんはその後レスターファインやサワダさんの代理店などを務め、今もご健在です。

 

ダイコーとともに中学生が買える価格のバスロッドを出してくれていたUFM。
第一次バスブームにも相当貢献したと思います。
ただし50年のルアー釣り歴で、自分はウエダは何故か買った事も振った事もほとんどない。
好き嫌いではなく、たぶん縁が無いのだろうと思う。

 


憧れだった38。
BLトンボジョイント85は、これに2500cかカルカッタ100のセットがリファレンスタックルとなります。

 


 

この本が出た79年5月は、初めてダイエーで黒沢氏と会い、津久井湖ツアーで同船させてもらった月でもある。
当時の瑞々しかった情熱を、思い出しました。