何のために読めば良いのか
大人になったら新聞は読むもんやと思っていたのですが、大人になってもサクサク新聞を読めません。
読んでも、分からないのです。
正確に言うと、書いてある日本語は理解出来るのですが、二つの意味で分からないのです。
一つ目は、知識に残らないこと。つまり、引っかからないんです。読んだそばから消えていくので、「今読んだ記事で何が一番面白かった?」と聞かれて、何読んだか思い出せないケースが多々あります。
その時多少思い出せても、後で結局忘れる。
二つ目は、何のために読むのかが分からない。例えば、「イスラエル・ハマス停戦 薄氷の合意、不信根深く 双方の要求は先送り」みたいな記事を読んで、何の役に立つのかが分かりません。
いくらでも理屈をつけることは出来ます。日本の経済にも政治にも影響が出るから、情勢を注視する必要がある、とか、株をやっていれば影響が出るとか。
ただ、それがどうしても腹に落ちない。理屈で終わってしまうんです。
だって、短期的には僕の衣食住には大きな影響が出ないし、この話題だって昔からずっとあって、やや食傷気味の感があります。またか…と思って、通勤電車に揺られて終わりが多い。
実際に関係する業界などで無ければ、新聞の情報の殆どは自分の中に残らないなと思います。
ただ、先日論文やら面接やらの準備をする中で痛烈に思ったのが、新聞の情報を自分の中で再構築し、自分の意見を形成する上での裏打ちとして使うと、新聞の記事は恐ろしく強いと思いました。
課題があって、その課題についての自分の思想を問われた時、新聞の記事から情報をスキミングしたり、盗んだり、自分の考えをうまく伝えるのに言葉を借りて使ったり、思考を構築するのに便利なんですね。
特に、一つ一つの記事も情報性は高いですが、複数の関連記事や別の日に気になってスクラップしておいた別カテゴリの記事と比較して見ると、自分にしか見えない社会の切り口が出てきたりします。
普段から自分の考えや主義主張を形成しておいて、いざ人前で意見を問われたり話したり書いたりする時に必要やねんな、ということを身を持って感じました。
そうすることで、深みのある意見にしたり、うまく伝えることが出来た理するですね。
結局、受け身で読んでいるから残らない、身にならないのでしょう。
今後は、もっと能動的に読んで、社会を生きる当事者になろうと思います。
うわ、真面目。
iPhoneからの投稿
読んでも、分からないのです。
正確に言うと、書いてある日本語は理解出来るのですが、二つの意味で分からないのです。
一つ目は、知識に残らないこと。つまり、引っかからないんです。読んだそばから消えていくので、「今読んだ記事で何が一番面白かった?」と聞かれて、何読んだか思い出せないケースが多々あります。
その時多少思い出せても、後で結局忘れる。
二つ目は、何のために読むのかが分からない。例えば、「イスラエル・ハマス停戦 薄氷の合意、不信根深く 双方の要求は先送り」みたいな記事を読んで、何の役に立つのかが分かりません。
いくらでも理屈をつけることは出来ます。日本の経済にも政治にも影響が出るから、情勢を注視する必要がある、とか、株をやっていれば影響が出るとか。
ただ、それがどうしても腹に落ちない。理屈で終わってしまうんです。
だって、短期的には僕の衣食住には大きな影響が出ないし、この話題だって昔からずっとあって、やや食傷気味の感があります。またか…と思って、通勤電車に揺られて終わりが多い。
実際に関係する業界などで無ければ、新聞の情報の殆どは自分の中に残らないなと思います。
ただ、先日論文やら面接やらの準備をする中で痛烈に思ったのが、新聞の情報を自分の中で再構築し、自分の意見を形成する上での裏打ちとして使うと、新聞の記事は恐ろしく強いと思いました。
課題があって、その課題についての自分の思想を問われた時、新聞の記事から情報をスキミングしたり、盗んだり、自分の考えをうまく伝えるのに言葉を借りて使ったり、思考を構築するのに便利なんですね。
特に、一つ一つの記事も情報性は高いですが、複数の関連記事や別の日に気になってスクラップしておいた別カテゴリの記事と比較して見ると、自分にしか見えない社会の切り口が出てきたりします。
普段から自分の考えや主義主張を形成しておいて、いざ人前で意見を問われたり話したり書いたりする時に必要やねんな、ということを身を持って感じました。
そうすることで、深みのある意見にしたり、うまく伝えることが出来た理するですね。
結局、受け身で読んでいるから残らない、身にならないのでしょう。
今後は、もっと能動的に読んで、社会を生きる当事者になろうと思います。
うわ、真面目。
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