チョムスキー
最近、エネルギーが足りなくてブログに書くのも短い文ばっかりやなぁと思っているのですが、高校の時は文芸部だったので、昔は比較的長い文章も書いておりました。
以下、久しぶりに昔書いた文章を発掘しました。
いつもとノリと長さが全く違うので、違う人かと思われるかもしれませんが、紛れもなく書いたのは私です。
本日の地雷です。
電車に乗っていると、小学生高学年と思われる女子たちが乗ってきた。
塾の帰りらしい。
疲れもあってうつらうつらしていると、彼女たちの話が耳に流れ込んできた。
「ねえ、あたしの好きな人分かる?」
一人の女子が切り出した。
ぼんやりと聞いていると、同学年の男子に気があるらしい。
「えー、誰だろ?ねぇ、誰?」
などと話を盛り上げる取り巻きたち。
朗らかな風景である。
「あのね、あたしの好きな人はね……。う、う……」
ヒントのつもりか何か知らないが、その女子が気になる男子の名前を少しづつ明かしていく。
「あのね、う、う……え、上…野……。」
見知らぬ女子よ、君は恋の数ほどいい女になっていくだろう。
片思いは辛いことも多いが、人を好きになるのは良いことだ。
君がいつか昼ドラのような恋愛に狂うことがあっても、今日のその素晴らしい気持ちを忘れず持っていて欲しい。
「まだあげ初めし前髪」の気分に浸りながら、この見知らぬ女子の片思いを微笑ましく思った。
今改めて「初恋」を読み返したら、きっと純粋な気持ちで読めるだろう。
だが、事件は起きた。
上野君が複数人数いるのか、友達の反応がいまいちなのか、彼女は上野君の下の名前までヒントを与えはじめたのである。
「あたしの好きなのは、上野、け……け……。」
嗚呼……!
彼の名字が下野君でなくて本当に良かった、と心の底から思いました。
(最終的には、彼女の好きなのは「隣のクラスの上野健二君」ということが分かったのだが。)
人生には思いもかけぬところで落とし穴が待ちかまえている。
次の言葉を忘れないで欲しい。
敵は、常に自分自身の中にいる。
島崎藤村もびっくりな格言を全世界に発信したところで、みなさんはいかがおすごしでしょうか?
*****************************************************
今日の出会いです。
今日の出会いは、学者系です。
ノーム・チョムスキーというアメリカ人の名を聞いたことはあるだろうか。
大学で言語学を専攻した人間なら、必ず一度は耳にする学者である。
また、アメリカの政治への批判でも知られる。
ベトナム戦争以前から舌鋒鋭く政治批判を行い、一貫してアメリカの帝国主義外交のあり方に疑問を呈してきた。
アメリカと敵対するベネズエラのチャベス大統領が、チョムスキーの本を片手に「アメリカ人はこの本を読むべきなのだ!」と演説に使ったエピソードまである。
9/11のテロの後はこの反骨精神ばかりが強調されているが、言語学者や哲学者の間では、いわゆる「変形生成文法」の創始者として大変名高い。
この理論の名前を聞いても、恐らくピンと来る人は少ないと思う。
一般生活を営む上で、あまり必要のない理論だからだ。
では、「変形生成文法」とはいったい何か?
例えば、次のような2文があったとする。
①小さな子供の学校がある。
②小さな子供の学校がある。
二つとも文法構造は全く同じ、つまり「表層構造」は全く区別がつかない。
しかし、前後の文脈によって、「小さな子供の(ための)学校」か、「小さな、子供の学校」なのかで意味が変わってくる。文法には、表層構造に加え、「深層構造」(意味の構造)があるのだ。
この深層構造を分かりやすくするため、
①「小さな子供の学校」→「小さな子供のための学校」
②「小さな子供の学校」→「子供の小さな学校」
などと直せるだろうか?
「小さな子供の学校」と「小さな子供のための学校」では意味が(微妙な点で)変わってしまっているため、最初の文を変えることは出来ないのである。
すなわち、「2つの文が表層構造上全く一緒でも、深層構造という観点から見れば文法上の違いが決定的である」という理論である。
……とまあ、分かったような分からんような。
弊員も学生時代はあまり学問にのめり込んだわけではないため、理解も中途半端なまま卒業したのですが。
さて、先日のこと。
電車の中で、ふっと目にとまった中吊り広告があった。
こう書いてあった。
「スイカでポイント。スイカでお買い物。たまったポイント、スイカになる。」
どうやら、スイカを使った分がポイント還元され、またスイカにチャージされるというシステムの宣伝らしい。
さらに説明書きに目を走らせた。
「例えば彼女の場合。
駅ナカのファーストフード、「Becks Coffee」にて、モーニングセットで2P。
ホテルメッツ、ホテルをチェックアウトで60P。」
ここまでは良かったのだが。
「コンビニエンスストア 「ニューデイズ」で、小腹がすいたらコンビニで3P。」
弊員の奇跡的な想像力を斟酌して頂けると、鼻血が吹き出る衝撃がお分かりいただけるかと存じます。
小腹が好いた程度で、場所をわきまえぬ乱交を公にうたうとは、おぬし大きく出たのう!
こうなると、良心という司令官が脳のシナプス伝達回路に非常事態宣言を発令する。
しかし、検問の至るところで煩悩という名の工作員が暗躍して封鎖したはずの脳内回路を再びつなぎ止めてしまう。
もう、あふれ出るアドレナリンを止めることは出来ない。
いけない、いけないと思いつつ、目が勝手に前の文章を読んでしまう。
「例えば彼女の場合。
駅ナカのファーストフード、「Becks Coffee」にて、モーニングセットで2P。
ホテルメッツ、ホテルをチェックアウトで60P。」
最初の意味なんか全て逆流する。
全然違う視点から文が見えてきた。
駅ナカ、モーニングセット。
ホテルメッツにいたっては、もはや狂喜に近い。
他の部分でも「空き時間、自販機で1P」など、隙間時間の有効活用がまさかのモーグル大回転。
朝から思わぬ場所で想像の宴となったわけですが。
この一件で悟った。
つまりは、これが「生成変形文法」なのだ。
表層構造は全く一緒なのに、深層構造が全く違う。
文脈が変わっただけで、文の内容は完全に変わってしまう。
文法には表層構造のみではなく、目に見えない深層構造が存在するのだ。
これを40年も前に気がついたチョムスキー、なかなかやるやないか!
チョムスキーも人の子、恐らくこういう所から着想を得ているに違いない。
今回、ろくでもない奴の知識になったことで、生成変形文法が惨めな末路をたどった。
この悲劇を繰り返さないためにも、正しい文法理解を胸に刻んで頂けることを切に願っております。
あえて繰り返そう。
敵は常に、自分自身の「ナカ」にいる。
以上、今日の出会いはノーム・チョムスキーでした!
以下、久しぶりに昔書いた文章を発掘しました。
いつもとノリと長さが全く違うので、違う人かと思われるかもしれませんが、紛れもなく書いたのは私です。
本日の地雷です。
電車に乗っていると、小学生高学年と思われる女子たちが乗ってきた。
塾の帰りらしい。
疲れもあってうつらうつらしていると、彼女たちの話が耳に流れ込んできた。
「ねえ、あたしの好きな人分かる?」
一人の女子が切り出した。
ぼんやりと聞いていると、同学年の男子に気があるらしい。
「えー、誰だろ?ねぇ、誰?」
などと話を盛り上げる取り巻きたち。
朗らかな風景である。
「あのね、あたしの好きな人はね……。う、う……」
ヒントのつもりか何か知らないが、その女子が気になる男子の名前を少しづつ明かしていく。
「あのね、う、う……え、上…野……。」
見知らぬ女子よ、君は恋の数ほどいい女になっていくだろう。
片思いは辛いことも多いが、人を好きになるのは良いことだ。
君がいつか昼ドラのような恋愛に狂うことがあっても、今日のその素晴らしい気持ちを忘れず持っていて欲しい。
「まだあげ初めし前髪」の気分に浸りながら、この見知らぬ女子の片思いを微笑ましく思った。
今改めて「初恋」を読み返したら、きっと純粋な気持ちで読めるだろう。
だが、事件は起きた。
上野君が複数人数いるのか、友達の反応がいまいちなのか、彼女は上野君の下の名前までヒントを与えはじめたのである。
「あたしの好きなのは、上野、け……け……。」
嗚呼……!
彼の名字が下野君でなくて本当に良かった、と心の底から思いました。
(最終的には、彼女の好きなのは「隣のクラスの上野健二君」ということが分かったのだが。)
人生には思いもかけぬところで落とし穴が待ちかまえている。
次の言葉を忘れないで欲しい。
敵は、常に自分自身の中にいる。
島崎藤村もびっくりな格言を全世界に発信したところで、みなさんはいかがおすごしでしょうか?
*****************************************************
今日の出会いです。
今日の出会いは、学者系です。
ノーム・チョムスキーというアメリカ人の名を聞いたことはあるだろうか。
大学で言語学を専攻した人間なら、必ず一度は耳にする学者である。
また、アメリカの政治への批判でも知られる。
ベトナム戦争以前から舌鋒鋭く政治批判を行い、一貫してアメリカの帝国主義外交のあり方に疑問を呈してきた。
アメリカと敵対するベネズエラのチャベス大統領が、チョムスキーの本を片手に「アメリカ人はこの本を読むべきなのだ!」と演説に使ったエピソードまである。
9/11のテロの後はこの反骨精神ばかりが強調されているが、言語学者や哲学者の間では、いわゆる「変形生成文法」の創始者として大変名高い。
この理論の名前を聞いても、恐らくピンと来る人は少ないと思う。
一般生活を営む上で、あまり必要のない理論だからだ。
では、「変形生成文法」とはいったい何か?
例えば、次のような2文があったとする。
①小さな子供の学校がある。
②小さな子供の学校がある。
二つとも文法構造は全く同じ、つまり「表層構造」は全く区別がつかない。
しかし、前後の文脈によって、「小さな子供の(ための)学校」か、「小さな、子供の学校」なのかで意味が変わってくる。文法には、表層構造に加え、「深層構造」(意味の構造)があるのだ。
この深層構造を分かりやすくするため、
①「小さな子供の学校」→「小さな子供のための学校」
②「小さな子供の学校」→「子供の小さな学校」
などと直せるだろうか?
「小さな子供の学校」と「小さな子供のための学校」では意味が(微妙な点で)変わってしまっているため、最初の文を変えることは出来ないのである。
すなわち、「2つの文が表層構造上全く一緒でも、深層構造という観点から見れば文法上の違いが決定的である」という理論である。
……とまあ、分かったような分からんような。
弊員も学生時代はあまり学問にのめり込んだわけではないため、理解も中途半端なまま卒業したのですが。
さて、先日のこと。
電車の中で、ふっと目にとまった中吊り広告があった。
こう書いてあった。
「スイカでポイント。スイカでお買い物。たまったポイント、スイカになる。」
どうやら、スイカを使った分がポイント還元され、またスイカにチャージされるというシステムの宣伝らしい。
さらに説明書きに目を走らせた。
「例えば彼女の場合。
駅ナカのファーストフード、「Becks Coffee」にて、モーニングセットで2P。
ホテルメッツ、ホテルをチェックアウトで60P。」
ここまでは良かったのだが。
「コンビニエンスストア 「ニューデイズ」で、小腹がすいたらコンビニで3P。」
弊員の奇跡的な想像力を斟酌して頂けると、鼻血が吹き出る衝撃がお分かりいただけるかと存じます。
小腹が好いた程度で、場所をわきまえぬ乱交を公にうたうとは、おぬし大きく出たのう!
こうなると、良心という司令官が脳のシナプス伝達回路に非常事態宣言を発令する。
しかし、検問の至るところで煩悩という名の工作員が暗躍して封鎖したはずの脳内回路を再びつなぎ止めてしまう。
もう、あふれ出るアドレナリンを止めることは出来ない。
いけない、いけないと思いつつ、目が勝手に前の文章を読んでしまう。
「例えば彼女の場合。
駅ナカのファーストフード、「Becks Coffee」にて、モーニングセットで2P。
ホテルメッツ、ホテルをチェックアウトで60P。」
最初の意味なんか全て逆流する。
全然違う視点から文が見えてきた。
駅ナカ、モーニングセット。
ホテルメッツにいたっては、もはや狂喜に近い。
他の部分でも「空き時間、自販機で1P」など、隙間時間の有効活用がまさかのモーグル大回転。
朝から思わぬ場所で想像の宴となったわけですが。
この一件で悟った。
つまりは、これが「生成変形文法」なのだ。
表層構造は全く一緒なのに、深層構造が全く違う。
文脈が変わっただけで、文の内容は完全に変わってしまう。
文法には表層構造のみではなく、目に見えない深層構造が存在するのだ。
これを40年も前に気がついたチョムスキー、なかなかやるやないか!
チョムスキーも人の子、恐らくこういう所から着想を得ているに違いない。
今回、ろくでもない奴の知識になったことで、生成変形文法が惨めな末路をたどった。
この悲劇を繰り返さないためにも、正しい文法理解を胸に刻んで頂けることを切に願っております。
あえて繰り返そう。
敵は常に、自分自身の「ナカ」にいる。
以上、今日の出会いはノーム・チョムスキーでした!

