Blaugrana 1899
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2話 ~ファースト・マッチ~ 1899's

Blaugrana 1899-1899's


 ガンペールが呼びかけを行ってから、7週間後の12月8日。バルサはイギリス人チームと初めて対戦することとなる。場所はボナノバにある旧自転車競技場跡で、メンバーが揃わずチームは各10人で構成された。審判を勤めたのはイギリス人のリーク氏であった。翌日のラ・バンガルディア紙に彼のコメントが載せられている。

「昨日の午後、ボナノバの旧自転車競技場で催されたフットボールクルブ・バルセロナとバルセロナ在住のイギリス人チームによるフットボールゲームは、非常に興味深いものだった。北西の弱い風が吹く午後の3時きっかりにバルセロナは南西の位置、イギリス人チームは北東の位置にそれぞれ集まり、各チームそれぞれ10人の選手が白い線をはさんで対決した。協議の結果、バルセロナがキックオフし試合がスタートした。試合が進むにつれ、バルセロナはキャプテンを務めるガンペールを始め、ワイルド、ロンバなど個人技が目立ち始める。一方のイギリス人チームはチームとしてのインテリジェンスにおいて優れ、ボールを支配するようになっていった。この前半にイギリス人チームが1点を獲得、バルセロナの方は不運にもゴールポストに2回当て、無得点で終了。後半開始15分間は、イギリス人チームが攻め続け追加点を狙うが、バルセロナもガンペールが個人技でチャンスをつかむものの得点をあげることはできなかった。」

 歴史に残る最初の試合は敗北に終わった。だが試合内容や0-1という結果よりも、遥かに重大なものをクラブ関係者は掴むことができた。それはこの試合によって生まれた、期待した以上の反響である。ロス・デポルテス紙やラ・バンガルディア紙などが、この新しいスポーツの誕生を一つの社会現象として好意的に評価し掲載したことである。

 一部のマスコミ、あるいは知識人といわれる人々は、この新しいスポーツに対して決して良い印象を持っていなかった。フットボールゲームに反感を抱く大きな理由は「半ズボンを穿いて素肌を見せてプレーしている」こと、「プレーヤー同士の必要以上の肉体的接触や時々おこる暴力行為」、つまりは「下品なスポーツ」という認識である。馬術競技やテニスのようにスポーツはエリート階級のみの特権であった当時としては、これが常識的な見解であった。

 だが、一般大衆が受けた印象は異なっていた。フットボールは比較的裕福な階層の人々によって始められたスポーツだったが、時間の経過に伴い人々はこのスポーツが決してエリート階級のみのものではないということに気がついていく。誰にでも気軽に始められるという認識が広がりを見せ始め、急速に庶民的なスポーツとして評価を得てていくことになる。例えばテ富裕層のシンボル的スポーツであるテニスでは、イギリス人などの外国人と裕福なスペイン人が同じコートを使用することさえ、20世紀初頭の欧州では稀有だったのだ。そういう時代背景の中にあって、イギリス人やスコットランド人に混ざって様々な階層のスペイン人が一緒になってプレーするフットボールは、画期的なスポーツであったといえるだろう。
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