「先程食べた蕎麦は美味しかった。」

数秒先の過去があたかも明日の幸せを占うかのごとく脳内に強烈な信号を発する。

「占う」ということは結局、「(脳内の何%)占める」のかどうかだと数は舌先で思う。

「とどのつまり、人の幸不幸なんてものは思い込みに過ぎないよなあ」
「たしかにその通りだ、ただ、それがどうした?」
「全く、感覚世界で生きるので有ればそれもよかろう」
「なるほど、相違ない」
「同様に等しいらしい」


シワの少ないメロンパンの穴ぼこで、あれやこれやと酌み交わされるアセドアルデヒドはまさに月下の宴。
全ての一人称が「私」の中で暴れている。

「千鳥足すら喜劇だとして、観衆は総じて自意識の代弁者。」

おそらく、明日の朝には解読不可能になる自我のエニグマが、行く宛のない暗号をスマホに刻んだ。

毎朝、繰り返される何気ない天気予報の一文でどうも
歴史は覆されると知った映画の名前はイミテーション・ゲームだった。

あいも変わらず歩いているのは住宅街。

区画整理された道々は長方形に切り取られ

たなびきたる雲のまにまに光る街路樹ひらひらり。

待ちくたびれた宵待月は名前を変えて

匙の一つを朧に散らす

シアンマゼンタイエロー色の赤青緑の全原色で

白黒つけることもなく

カラフルに濁る、夜に蕩ける。



距離に直せばものの30m、
爪先一つでかき消される日々の足跡である。