2年ほど前に 和歌山に行ったのを思い出した・・
熊野大社に行き、そのあと 玉置神社行ったことを・・
クニトコタチノミコト・イザナギ・イザナミ・アマテラスオオミカミ・カムヤマトイワレヒコノミコト
と神々が祀られている山の頂上にある神社でした。
神はもうこの世の中には存在はしません。
ただ、神の意志(残存思念)は残ります。
この国の神社は伊勢神宮・出雲大社・熱田神宮と 神が宿っているところですが、
そこには神様はいません。
もし、いるのならば 何故 偉い人がお参りして この世の中が良くなるどころか
悪い方向になる・・・
神は いいことばかりを与えるものではないのです。常に人に試練を与えるのです。
玉置神社に行った時、不思議な体験をたくさんしました。
歩いて神社まで行くのですが、参道は結界が貼られており、参道の中にしか
虫がいない・・・ 何もないところに岩があり これも 結界がはられている・・
本堂は小さいところですが、 修行僧の方たちがいました。
いろんな神社に行きましたが、何かが違う 不思議な場所・・
祀られている神々もこの国を作り上げた方たちばかり。
何故、この神社に来たのか?なんとなく 和歌山から奈良に抜ける道で なんとなく行った場所でした。
神は存在しません。ただ意志は残ってます。 この国を変える(良くも悪くも)器を求めているような・・
そして、来た人に試練を与えます・・・・・
この日から一か月後に うちのかみさんは 2年という 試練を与えられました。
人は生きているのではなく、生かされている と思います。
受けいることも 起こることも そして、生きていくことも・・人として生きるための試練なのではないのでしょうか?

