Xやインスタでは近況報告していましたが、

(Twtterからまだ名前が慣れない…)

 

9月28日の早朝、

私の父方の祖父が息を引き取りました。

 

それに伴って法要に始まり、

またそれとは直接は関係しない予定も重なって、

体感で今年一慌ただしい数日を送っていました。

 

 

 

元々ここ数年で、私の父方の祖父(以降"祖父"とします)

病気で入退院を繰り返していて、

何となくこの先長くないような予感が

うっすらとあった頃でした。

 

約数週間前、幾度目かの入院をして、

ちょっと定かではないのですが

がんがあったと聞いたような記憶があります。

 

その際に祖父は、

"抗がん剤治療も、延命治療もしない"

と決めていたそうです。

 

この時、

ああ、もう"近い"かもしれない

と頭に過りました。

 

 

そして9月27日の夜、

私の父が病院へ寄って帰ってきて、

どうやら祖父が苦しみだしたらしく、

もしかしたらもう1週間も持たないかも…

と言われました。

 

万が一覚悟しておいてね、

でもそんなすぐではないだろう、

みたいに話していたのですが…

 

時間にしてその数時間後の、

9月28日の早朝の5時頃、

父の兄弟から「親父が息を引き取りました」

という電話を聞いたのでした。

 

その日私はまだ眠れずに起きていたので、

聞いたのをはっきり覚えています。

 

 

 

ブーケ2

 

 

 

まず当日には特にすることは無かったのですが、

(父のお兄さんがいろいろ動いていたので)

またこの後書きますが

都合によって次の日の通夜には行けないかもということがあり、

 

父に顔だけでも見ていくかと提案されて、

28日の夜、祖父を一時的に引き取っていた実家に寄って行きました。

 

その時初めて、

死者の顔を見ました。

 

父は"寝ているみたいだよ"と言っていましたが、

正直亡くなっている人の状態って分かります。

 

肌がとても白くて、

1mmも動かなくて、

肉体はまだあるけれども

そこに何も入っていない感じ。

 

亡くなる直前は苦しんでいたとはいえ、

ひどい亡くなり方というわけではなかったので

とても穏やかといえば穏やかだったのですが…。

 

 

実は正直、祖父との思い出らしい思い出はそんなに無いんです。

おじいちゃ~んって呼ぶような関係でもなくて、

いわゆるちゃんとした昭和の厳しい親父像そのもので。

会話といえば、なんか注意されたことくらい。笑

 

なので、もう会えない寂しさとか、

思い出が蘇って…ってことは残念ながらあまり無く。

 

それよりも、祖父が…というよりかは、

死という絶対的に取り返すことのできない事象に、

おそらく、恐怖のようなもので涙が出ていたと思います。

 

そういえばこの時祖母が、

祖父は毎日日記をつけていて、

やはり最近は苦しいといったようなことが書いてあった…

と言っていて。

 

特に深い意味はないのですが、

えっ、日記つけてたんだ…

と驚いて。

 

今になって祖父の個人の輪郭、

のようなものを感じて、

さすがにうるっときてしまいました。

 

 

 

そしてこの日は顔を見るだけに終わって、 

次の日の29日ですが、

数ヶ月前から決まっていた大事な大事な予定がありまして。

厳密に言うと弟の予定なのですが、

その弟の付き添いで外出していました。

 

人が亡くなっている時に…

というのもありましたが、突然でしたしね。

今生きているからこそ経験させてあげたい、

というような予定だったので、

 

良い経験と息抜きにもなったかなと思っています。

(まあ内容は秘密ということで(⁠^⁠^⁠))

 

 

 

そして30日には、

初めての経験でもある葬式に行きました。

 

ごく近い親戚だけの家族葬でしたが、

遺影や花が飾ってある祭壇、というのでしょうか。

それがとても綺麗で豪華でした。

 

この葬式周りのことも、祖父が遺言というほどではないですが

事前にこうしてくれと決めていたそうですよ。

印象に違わず本当にしっかりした人だったんですね。

 

いざ実際に式が始まったら

どういう作法で動けばいいかわからず、

とりあえず前の親戚の見様見真似でお焼香などをしましたが、

ちょっと事前に調べておけばよかったかなーと思いました。

 

お坊さんのお経を聞いて

お焼香をしたり合掌をしたり…

 

終盤になってくると、

棺の中に入っている祖父の顔を見て、

祭壇に飾ってあったお花を一房一房入れてあげたり、

祖父が好きだったものを入れたり。

 

もうこの時には死化粧というものをされていたので、

亡くなった日の夜に実家で見た時よりも

顔色が良くされていて、

もうショックのようなものはなく

ただただ穏やかな様相でした。

 

 

初めてのお葬式、一体どんな雰囲気なのだろう…

と思っていましたが、

 

こんなことをするんだ…と知らないことだらけで、

お経も聞き心地がよくて

お香の香りも好きなので、

 

悲しみよりも

儀式を一つ一つ終えていくのが

終始心が穏やかでした。

 

 

式はおよそ1時間くらいだったでしょうか。

その後棺を霊柩車へと運び、

祖母だけ霊柩車に一緒に乗って、

私や他の家族は式場のバスに乗って一緒に移動することに。

 

最初どこに行くかわかっていなかったのですが笑、

着いたのは火葬場でした。

よく考えたら当然ですが、こちらも初めての経験。

 

これで本当に最後のお別れなので

顔を見ておいてくださいという時間が。

 

何かと最後と言っても

次があるように思ってしまうけど、

それが一切無くなってしまうんだ、と

こみ上げてくるものがありました。

 

 

ついに本当のお別れか、といったところに、

火葬に約1時間15分程かかるのでお待ちくださいと言われ、

え、このまま待つの…?

 

とちょっとぞっとしていたら別室に通されて、

そこには式場が用意してくれた昼食のお弁当がありました。

ここでちょっと嬉しくなる私。

 

火葬してもらっている間、

昼食をとって一息。

その間家族や親戚の方と話をして、

割とリラックスした雰囲気でした。

(もちろん寂しさも)

 

お弁当も大変美味しかったですにっこり

 

 

ちなみに葬式の際に

棺に祖父の好きなものを入れたのですが、

祖父はどうやらお菓子が好きだったようで、

確かにかりんとうや饅頭のようなものがほとんどで。

 

これには私も父も驚いていて、

甘いものが好きだったんだ…

と、私が亡くなった日に日記のことを知ったように、

亡くなってから初めて知った事実。

 

やはり人ってわからないところが誰しもあるんですね。

 

 

そんなことを話しながら1時間15分程経ち、

ついに火葬が終わったとのことで、

場所が何ていうのかわからないのですが…

火葬していたであろう部屋へ。

室内はもわっと熱かったです。

 

そしてここからは、事前に母から聞いていた

"収骨"をすることに。

 

それは外食していた29日の夜、

母から収骨という

骨を一つ一つ骨壺に入れていく作業があると聞いていました。

 

その際に、親戚の友人で

実際に骨を見たらトラウマになってしまった…

という方がいるらしく、

"もし無理そうだったらやらなくてもいいよ"、

ということを聞いていたのでした。

 

その時は聞いただけだと恐ろしいというか、

私も感情移入しやすいタイプなので

当日はパスするかも…と考えていました。

 

しかしいざ収骨の時になると、

いずれにしろ皆やる雰囲気だったのもありますが、

祖父の骨を見たら

考えていたほど恐れや感情に飲み込まれることはなく。

 

寧ろやりたいとさえ思いました。

 

どんなに皮を被っていたって、

人間は皆等しくこの骨なんだ、

という安堵感のような気持ち。

 

もはや骨が現世に残るだけ有り難い、

と思っていました。

 

 

私は弟と二人一組になって、

大き目の箸を使って骨を骨壺に。

 

ちなみに私がやったのは大腿骨と股関節…

だったような気がします。

何となく忘れたくなくて憶えていたのですが、

今になっておぼろげになってしまいました。

 

そしてけっこう二人で掴むのが難しくて、

一度落としちゃったり。ごめんなさい。

 

 

 

そして収骨を終えたら、

本当の本当に終了。

 

再びバスに乗って葬儀場へ戻り、

喪主である父のお兄さんからいろんなお土産をもらって、

食べ物が増えてなんだかちょっとしたお祭り気分。

 

ただその量を見て、

冠婚葬祭って毎回これを準備するのか…

とぞっとしつつ。

 

昼過ぎくらいに家に帰りまして、

ひとまず直近でするべき法要を終えたこともあり、

何だかやっと息をつけたという感じでお休みしました。

 

 

 

ブーケ2

 

 

 

このたった2,3日だけでも、

いろんなことを考えました。

もちろんここに書ききれないこともたくさん。

 

私は"死"に対しては、

少なくともあの世はここより絶対的に安らかな場所なのだから、

苦しみから解放されてよかったね、

という気持ちで見ています。

 

あくまで私は…

と思っていましたが、

祖母も似たようなことを言っていましたね。

 

それに関しては変わっていないのですが、

いざ目の前にしてみて、

 

"生きている間にしか絶対にできないことがある"

とも思い知らされました。

 

それは肉体と五感です。

 

私の好きな、ワンピースのニカ…

になっていた時のルフィが言ってました。

"人間死んだら皆骨だけ"

と。

 

だからルフィは絶対的に生きている今が大事、

という考え方なのですが、

それがじんわりと沁みました。

実際に骨を見てからなおさら。

 

それは逆に私にとって、

"恐怖"にもなりました。

 

絶対に生きていたい、

今は、絶対に死にたくない、と。

 

まだ22歳なんだから当然だよ、

って思うかもしれませんが、

たまたま祖父は寿命に近い年齢だっただけで、

いつどんな形でそれが来るかわかりませんから。

 

 

だから、この"死"という

常にうっすらと横たわっている恐怖を感じている人は、

人生に深みがあるな、と感じたんです。

それはたとえば、私の好きなアーティストだったり。

 

まあ家族の死とかなら基本的に

皆平等に一度は経験するはずなので、

比較する必要は無いんですけどね。

 

ただやっぱり、この恐怖や

痛み、悲しみを経験していないと、

共感すらできないから優しくあれないよな…と思いました。

 

 

その分、あくまでその肉体的な経験が無くなるだけで、

見えない形でずっと存在しているんだな、

ということもわかりますからね。

(霊的なことを感じるわけではないので、あくまで想像の域ですが)

 

 

ということは。

"死"というものは、本人にとったら大したことでは無いのだと思うのです。

 

寧ろこうしてあれこれ考えさせられる、

残された生きている人たちに訪れる課題なのかな、と。

これからどう生きていくかの選択を問われたりね。

 

 

 

さて、日にちだけで言えばたったの3日ほどでしたが、

自分の価値観をぐわんぐわんと回されたような日々でした。

 

それでまたこれから四十九日とかありますが、

一旦落ち着いて…

かと思いきや。

 

葬式があった次の日の10月1日から、

急遽母方の実家である富山県に帰省することになるのです。

 

そのことは次回に続く、ということで。

 

もう十分追悼しましたが、

祖父が安らかに眠れますように。

 

 

 
 
(葬式の帰りにいただいたお花)

 

 

 

黒薔薇.