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立派なお寺です
 
 

太田市の名所 "呑龍さま"

 

先月の群馬訪問時、久しぶりに 呑龍(どんりゅう)さま へ行ってきました。

 

子供の頃に行ったきりなので、30年ぶりくらいの訪問だと思います。
母と伯母も行きたいというので、一緒に行きました。


 

呑龍さまが 大光院 というお寺だというのは、今回初めて知りました。

 

伯母の次男(いとこ)は、この呑龍さまで名前を授けてもらったそうです。
昔は呑龍さまから名前を授けてもらう人は多かったようです。


 

子供の頃は、よく呑龍さまに遊びに来ました。

 

昔は呑龍さまに小さな動物園があって、猿や孔雀がいました。
入場料もないので、ウチの親がよく連れてきたのです。

 

動物の思い出はあるものの、お寺の記憶はまったくありません。


 

久々に訪ねた呑龍さまは、人も少なく静かでした。

 

かつては大いに賑わっていたのですが、現在はそうでもないようです。
お寺の本堂は立派ですが、ちょっと寂しい雰囲気でした。

 

お祭りなどの賑やかな時の呑龍さまに再訪したいですね。


 

【大光院と呑龍上人】 (太田市役所HPより)
 大光院は、慶長18年(1611)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、開山には芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人が迎えられました。

 上人は、弘治2年(1556)4月、武蔵国埼玉郡一の割村(埼玉県春日部市)に生まれ、元和9年(1623)8月9日、大光院で入寂した名僧です。

 大光院に入山した上人は、看経・講義・説法などに力を尽くしたため、上人の徳を慕う学僧が大光院には多数集まり、周辺農民も上人の教えを受け入れたので、寺運は栄えました。一方、乱世後の人心は乱れ、天災等の影響で生活は困難を極めていたため、捨て子や間引きなどの非道が横行していました。上人は、その非道を憂い、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で寺に受け入れ、寺の費用で養育いたしました。このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、今に篤い信仰を集めております。

 

 

 

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大光院は徳川家康が建てたそうです。
今回の訪問で呑龍さまの由来がわかり、とても勉強になりました。

 

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かつて動物園があった所には、子供のための遊具が置いてありました。

 

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桜の時期が終わりの頃でしたが、一本だけ咲いていた枝垂れ桜が綺麗でした。

 

 

「大光院」 (呑龍さま)   群馬県太田市金山町37-8