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手品・マジック考察 ブラックマジックマンのブログ

手品を学問的に考えたり、手品商品の考察をテーマに記事を書きます。問題ある記事などは連絡ください。

なお、個人的な趣味趣向が入ってしまいますがお許しを。

こんばんわ。ブラックマジックマンです。

今日は手品の歴史について、

いろいろな歴史書や文献に基づき、私が妄想しているものを書いてみようと思います。


まず第一に、今でこそマジックは娯楽的位置づけですが、

昔は不思議な力を持つものを「神、悪魔、魔女」など国によりさまざまな呼び方をしていました。

もちろん、この中に本当に人知を超える力を持った者もいたでしょうし、それが創造神、唯一絶対の神かも知れません。

しかし、これだけはハッキリ言えます。


偽物の神、偽りの神の割合のほうが確実に多いと。


1000人の人間が神を見たと言ったとき、そのうち多数を占めるのがマヤカシの神なのです。

自分の都合のいいように作り上げられた神、もしくは人の都合により信じさせられている神。

もちろんいい作用、悪い作用に働くかはその神と信じる者次第ですし、時代が変わるにつれ、その教えはカルトと呼ばれたり聖書とも呼ばれるのだと思います。

その時代により異なるとは思いますが、

私利私欲を満たしたい、そのためには人を信じ込ませる必要がある。

この戦争を止めるためには、何としても自分が権力を振るわねば。

私は二つは表裏一体と考えていますので、ふとした時に独裁者が皆の愛する国王様になり得るでしょうし、何かの道徳教育のため、いいものが悪に、悪がいいものにすり替えられることもありえるわけです。

さて、そんな中。世界の歴史上にはさまざまな英雄や伝説が存在します。

誰でも一度は聞いたことがある話で、非常に大規模で、策略的で残虐だったものは・・・やはり中世の魔女狩りではないでしょうか。

この時代、中世では貴族が政治に口を出すようになっていたそうで、国としてはそんな貴族が疎ましかったため、言いがかりをつけ殺していった・・・それに使われたのがマジックだと言われています。

どのようなマジックかというと、現代のマジシャンが聞くと手品でも何でもないと言われる代物です。

いわゆるびっくりナイフなどと呼ばれているジョークグッツです。

今だからこそ、100円ショップのおもちゃコーナーで売られている商品ですが、当時はナイフを体に突き刺しても血が出ない・・・お前は魔女だと人の人生を決められるものとして使用されていたようです。

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感想(8件)

おそらく当時はバネが入っているのではなく、刃が持ち手の部分に隠れるだけの仕掛けだったと推測します。

バネを安定的に量産できたとは考えにくいですし、

(諸説ありますが、かなり昔からバネというものが存在したという話もあるので、バネの起源自体かなり曖昧なようです。)

持ち手の部分に入った刃は重力で落ちて元通りに戻る、その程度の仕掛けだったのでしょう。

このナイフ以外にも腕を切っても血が出ない、いわゆる刃の部分が例の仕掛けになっているタイプのものも使用されたようです。

 
ナイフスルーアーム


このタイプは今でもプロマジシャンが愛用する、インパクトのあるマジックです。

血のりを使用し、リアリティを出す方もいるようですが、ナイフで切っても血が出ない超人メンタルマジック・・・というよりは切れてません、なんてね!というジョーク系として使われることが多いのではないでしょうか。(日本では特に心臓に悪いマジックはグロテスクだし敬遠されがちなようです)

このような道具を使い、魔女として罪もなく殺された人間がいたと当時の記録には書かれており、皮肉にもその虐殺を阻止しようと生まれたのが世界で初めて作られた手品の解説本といわれています。

図解入りでナイフの仕掛けを解説しており、書物として残っているものとしては世界最古といわれています。

何故ナイフの仕掛けが気付かれたのかは推測でしかありませんが、魔女かどうか調べにきた兵士の目を盗んでナイフをすり替えたりしたのでしょうか。

ただはっきりしていることは、この種に気付いた勇気ある者の告発により、救われた命はたくさんあったということでしょう。

この手の話はたまたま書物に残っていないだけで、世界中どこでも行われていたことだと思います。

日本では忍者がそれにあたると私は考えています。

忍者が大好きな方には申し訳ないのですが、

事実、どう考えても人知を超えた妖怪を呼び出す妖術や、有名なものだと水蜘蛛の術は普通では実現ができない芸当です。

医療や爆薬、体術に精通したものを忍者と呼び、その話が誇張され、忍法と呼ばれているという解釈もあるでしょうが、

これだけ今も語り継がれるということは、それに近いことを誰かがやってのけたのだと私は考えています。

もちろん、実際にやってのけなくていいのです。

やったように見せた誰かがおり、それがその一国の抑止力になり、城を攻め入りがたくする。

化学がない当時、これほどの精神的な武器はないでしょう。

同じ時期に、柳の木の下には越後屋のへそくりが埋めてあり、誰も近寄れないようにするために、柳の下には霊が出る、と噂や掛け軸さえ作らせたという話もあるほどです。

もしこれが当時の噺家(はなしか)が、面白半分で作った話だとしても、どこか信憑性がある現実味のある話であったのだと思います。

辻狩りがたまたま柳の木の下で行われ、死んだ死体を動かそうとしていて土の違和感に気付いた。

王道ならこのあたりでしょうが、嘘であろうと事実であろうと、この話が広まるおかげで何かから目を背けさせるのに一役買ったのは間違いありません。

もちろん昔話だけではなく、化学が発展した今日でも、誰かが意図的に何かしらの隠滅を図っていたり、誰かを幸せにも不幸せにもするギミックが世界中のいたるところに存在するのでしょう。

それに気づくか、気づくか。

はたまた気付くという行為自体が誰かの誘導によるものなのか。

世の中の構造を少し手品に置き換えてみると、何か見えてくるものと見えなくなるものが生まれてくるやも知れません。