翔は杏奈と共に夢島高校を訪れた。目的は、透に勝負を申し込むため。


翔  「・・・・・・・・・井上 透はいるか?」


夢島高校の卓球部員は、全員凍りついた。かつて一人で夢島高校を破った男、ブラックキャットが目の前にいるのだ。


部長 「・・・・・・・透ならあそこだ・・・・」


翔  「そうか、ありがとう。」


部員全員が目を疑った。今まで挨拶の一つもしなかったブラックキャットが、「礼を言ってきた」という事実が信じられなかった。


翔は言われた所に目をやった。

そこには、一人黙々と走りこみをする透がいた。


翔  「井上 透・・・・・だね?」


透は足を止めた。そして以外な訪問者に驚きを隠さなかった。


透  「あっ!お前は黒猫ちゃん!」


翔  「 ちゃん はやめろ 笑」


透はふと気づいた。翔が笑っている。そしてその横には、見覚えのある顔が。


透  「杏奈じゃねぇか 笑」


杏奈 「久しぶり、透」


翔  「知り合いか?」


透  「あぁ、幼馴染なんだ」


翔  「そうか、お前達には感謝しているぞ」


透と杏奈は首をかしげた。何を感謝しているのか、分からなかったからだ。


翔  「まぁいい。今日は勝負に来たんだ。透。」


透は驚いたが、すぐに満面の笑みに変わった。


透  「あぁ、いいぜ!」


夢島高校卓球部員が見守る中、試合は行われた。

やはり、翔が優勢だった。

しかし、3セット目、透の表情が変わった。


透  「何で点取ったのに、笑わないんだ?」


翔  「勝負では、余裕を見せたら負けだ。そう父から言われている。」


透  「そんなもん、本人の自由だろ。」


翔  「・・・・・・・・俺は所詮飼い猫なんだ・・・・・」


透  「猫は、もともと人に懐かないもんだぜ」


そういって透はサーブを繰り出した。

今まで見たことも無いサーブだった。


翔  「・・・・・・・・王子サーブか。」


王子卓球センターで開発されたことから、「王子サーブ」と言われるこのサーブ。

強力なスピンがかかるが、その分バウンドも激しく使いこなすのは至難の業だ。

さらに、しゃがみ込みながら放つこのサーブは、膝に大きな負担を与える。


このサーブを使いこなすために、透は人の何倍もの走りこみをこなした。


翔  「確かに完璧な王子サーブだ・・・・。だが、サーブだけでは俺には勝てないよ。」


翔は今まで以上のスピードで、透を攻めた。だが、翔は点を取ることができなかった。

むしろ、押されていた。


翔  「・・・・・・!!」


気づけば、セットカウント4-4の同数だった。


透  「試合ってものはなぁ、気持ち次第で勝つも負けるも決まってくるんだよ。お前には技術があるが、気                    持ちがない。勝ちたいと思う気持ちが、卓球を楽しいと思う気持ちが足りない。」


翔は感じた。今の自分では勝てないと。


翔  「・・・・・・・・今回は引き分けだ。」


透  「分かった。一ヵ月後の、新人戦地方大会で決着をつけようぜ。」


翔  「・・・・分かった。」


翔は感じた。自分はただ、父の言いなりになって卓球をしていただけだ。

楽しむとか、勝ちたいとか、考えたことも無かった。


試合を見ていた杏奈は言った。



杏奈 「翔はもう飼い猫じゃないよ。alley cat だよ。」



alley cat ・・・・ 野良猫か・・・・・

そうか、俺は自由だ。縛られて生きることなんて、望んでいない。

翔は自分自身の手で、勝利を掴むことを心に決めた・・・・



ブラックキャット運命の時まで、あと1ヶ月・・・・

彼女は翔と同じクラスだった。


杏奈 「何でいっつも笑わないの?」


誰もが疑問に思いながらも、誰一人として彼に質問することはなかった。だが彼女は違った。

部活の帰り道、彼を見つけた彼女は事も無げに質問した。


翔  「さぁ・・・・ 何でだろうな・・・・・」


翔は相手にしなかった。だが、彼女は毎日翔に話し掛けて来た。

それでも彼は彼女に慣れることはなかった。


初めて、自分を敬遠することなく話し掛けてくる人を見た。


「孤独なブラックキャットには、話し掛けても無駄」


みんなそう思っていた。彼自身、話し掛けられることを望んでいなかった。

だが、今ここに自分に話し掛けてくる人間がいる。

翔の心は、新鮮な驚きで満ちた。


しかし、彼はまだ信じなかった。初めて触れた、人の優しさが、温かみが信じられなかった。



1ヶ月ほど経ち、彼は初めて口を開いた。



翔  「・・・・・名前は?」


周りにいたクラスメイトは、目を疑った。しかし彼女は、驚きもせずにこう言った。


杏奈 「杏奈だよ。」


翔  「・・・・・・・いい名前だな・・・・・・。」


それから、徐々に翔は話すようになった。しかし、彼が杏奈以外の人と会話することはなかった。


次第に、彼の表情が変わっていった。

少しずつだが、笑うようになっていった。彼は正直驚いていた。今まで、感情を表に出すことの無かった自分が、笑っている。彼は、自分が変わっていくことに喜びを感じていた。



しかし、卓球で彼が笑うことはなかった。



彼は、卓球をしているときは、たとえ杏奈が近くにいても笑うことはなかった。

試合中に笑うことを、父 信義が許さなかった。


試合とは真剣勝負、「笑う」という余裕の現れが、敗北へと繋がる。

信義はそう考えていた。

その、父の考えが翔をここまで寡黙にしたのかもしれない。



杏奈 「何で卓球してる時は無表情なの?」


翔  「・・・・・・・・・俺は父さんの飼い猫だから・・・・・・。」


そう言った翔は、フッと寂しそうな表情をした。しかしすぐ元の表情に戻り、


翔  「でも、普段は結構笑ってられるようになったよ。」


と、今まで見せたことも無いような笑顔で言った。


彼は、次第に他の人とも親しくなっていった。

その内、彼のことを「ブラックキャット」と言って敬遠する者は少なくなった。

「ブラックキャット」という名前に、敬意を表するようになった。


自分が変われたのも、杏奈のおかげ・・・・

彼はそう思うようになった。初めて自分を敬遠することなく話し掛けた存在・・・・・


いや、もう一人いたな

自分に無謀にも勝負を挑んできた、卓球を心から愛する、あの男が・・・・・・

彼にも、自分が変わるキッカケをもらったな・・・・



今ごろどうしてるかな・・・。できれば、また勝負したい・・・・!



最強の名を欲しいがままにしてきたブラックキャットが初めで最後、自分から試合をしたいと思った唯一の選手はプロでも何でもない、過去に自分に無謀な勝負を挑んできた、一人の少年だった・・・・・


透と杏奈、二人の高校生により、ブラックキャットは自分に目覚める・・・・・

ブラックキャット運命の時まで、あと3ヶ月・・・・・



 「今日も完璧な試合だったな。ワシの立てた戦術が、見事にハマったな」


そう言いながら満足そうにスコアの眺めるのは、翔の父 信義だ。元国体選手。幼い頃から、息子 翔に卓球を教えてきた。翔はただ、父の言うことだけ聞いてきた。それで間違いはないと思っていた。


翔 「・・・・・・・・・」


しかし最近翔は疑問を感じ初めていた。何故自由に試合できないのか?こんなこと、今まで考えたこともなかった。完璧な勝利こそが全てだと信じて疑わなかった心に、疑問が生じた。

これもあの試合を見てからだ・・・・・。アイツが引っかかってる・・・・。


3日前の夢島高校との練習試合のこと


いつものように圧倒的な強さで、他の追随を許さない翔。彼の後ろには、コーチである父 信義がいた。

信義の言う通りの試合運び、相手に付け入る隙を与えない完璧な試合の数々。

夢島高校は、若干16歳の新入生の前に凍りついた。



ただ一人を除いては



透 「黒猫野郎!勝負だぁぁ!!」


彼の名前は井上 透。中学のころ、翔に軽くあしらわれた、あの透だ。


翔 「・・・・・君が最後だな」


翔は夢島高校卓球部に、全勝していた。透を倒せば、夢島高校に一人で勝ったことになる。

最も、翔は初めからそのつもりだった。光彩学園の部員達に頼る気など、毛頭なかった。


試合は一方的な展開。


に、なるはずだった。


透の予想以上の強さに、翔も多少の驚きを見せた。しかし表情は変わらない。いくら透が上手くても、翔とは練習時間がかけ離れている。


翔は、ただ淡々と点を取った。試合はあっという間に終わった。セットカウント5-0。

翔の完全勝利である


透 「さっすが強いねー、黒猫ちゃん♪」


翔は黙ってロッカーへと向かった。しかし、明らかに平常心ではなかった。

1セットも与えない、完璧な勝利。完全に負けたにも関わらず、透は笑っていた。

試合中も実に楽しそうに卓球をしていた。彼はそれが理解できなかった。


そのときの、透の楽しそうな顔が頭から離れない。翔は一人考えていた。

父親の言う通りに動けば、勝てる。


・・・・・だが全く楽しくない

自分は父親の飼い猫か・・・・

ふとそんなこと想い、翔は寂しくなった。


俺はいつから笑わなくなったのかな・・・・・


昔はアイツのように笑ってたっけな・・・・・・


ブラックキャットか・・・・・ どこの誰だか知らないが、上手い名前付けたもんだ・・・・

俺は孤独な黒猫。親に飼いならされて生きるのか・・・・・



そんなことを考えていたとき、彼は彼女と出会った。



ブラックキャット運命の時まで、あと半年・・・・・




 「11-3、第5セット勝者 城崎! セットポイント5-0 勝者城崎!」

審判の声が終わる前に、城崎はコートを去った。相手の握手にも応じず、無言のままロッカールームへと消えた。

 


県大会へと続く、地方大会決勝戦。圧倒的点差で、彼、城崎 翔は優勝した。しかし彼は表情一つ変えない。彼が試合で勝って喜ぶことはない。彼に言わせれば、勝利とは当然の結果なのだ。


周りの者は彼をこう呼ぶ。「ブラックキャット」と。彼の深淵ような漆黒のユニフォーム。猫のように誰にも懐かないその冷たさ。決して変わることの無い表情。それら全てが、彼が「ブラックキャット」と呼ばれる要因となった。その名は各地に轟き、卓球で上を目指す者にとって、脅威となった。


城崎は、着替えを済ませ早々に会場を後にした。会場を出たところで声を掛けられた。


  「お前がブラックキャットさん?」


振り返ると、屈託のない笑顔で笑う、一人の少年の姿があった。


翔 「だったら、何だと言うんだ?」


透 「俺、井上 透。お前の試合見せてもらったよ。いや~なかなか強いんだな!」


翔 「・・・・・・・・・失礼するよ。」


透 「待てよ、俺と試合しないか? 笑」


翔 「断る」


透 「んだよ~ いいじゃんかー」


彼は透の言葉を聞かずに、その場を立ち去った。後ろでは、しつこく頼み込む透の声がしていた・・・・


これが二人の最初の出会いだった

後に激戦を繰り広げる二人の出会いは、あっけなく過ぎ去ったのだった。


ブラックキャット運命の時まで、あと1年・・・・・