番外:「ラブレター”男よ”(女の子、一家に一人、必需品)」 | 雪うさぎ

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 子供のときから、作文とか読書感想文は苦手で^^。
 つたないながらも、少女漫画と少女小説の紹介をして
いきます。

小倉千加子(大阪成蹊女子短期大学助教授=心理学)

 讀賣新聞より。


 今でも忘れられない、エッセイがこれです^^。

 もー20年以上前ですが。


<全文紹介>


 結婚して一人だけ子供を持つとしたら、男の子がいいか、

女の子がいいかという質問に、若い妻たちは、今圧倒的に

多く女の子がいいと答えるそうだ。

 「男の子なんて、いずれ他人同様よ」

 「女の子なら、話相手になるし、いざというときは、頼りに

なるしね」

 今や、女の子は「一家に一人必需品」というフレーズま

であるらしい。

 女の子は核家族にとって、生きる”福祉”なのである。

 親たちに必要なのは、家庭の継承者ではなく、身内の

カウンセラーであり、エンターテイナーであり、看護人なのだ。

 その意味で、確かに「モノの時代から」から「ココロの時代」

になっている。

 親たちが、自前で”福祉”を考えねばならないのは、国や

自治体などの福祉がアテにならないとわかっているからに

他ならない。ここで、”親たち”というのは、女親のことだ。

男親にはハナから福祉がある。それは妻だ。

 夫たちは、自分が妻より先に死ぬことを疑わないし、自分

の老後の世話は妻が看てくれると信じている。だから、妻は

自分の老後を誰に託すのかをひそかに気に病んでいるのだ。

 若い女の子たちが、息子の嫁になったとき、果たして殊勝

に姑に尽くしてくれるだろうか? イヤイヤ、そんなことは

アテにできるものではない。何といっても、嫁は他人。それ

よりは、実の娘のほうが気を使わないですむし、ワガママ

も聞いてくれるしね。

 主婦たちは、老後が不安なのだ。どうせ頼るなら、息子よ

り、娘。そしてうんと頼りになるのは、経済力のある娘。娘が

嫁に行ってしまって夫に食べさせてもらってる身分になれば

実家の母に尽くしてやりたくても現実が許さない。娘が経済

的に自立していれば、娘は夫にワガママが通る。

 こういう不安な主婦たちの隠された動機によって、日本の

性別役割分業が解消の方向に動きつつあることを、男たち

は知らない。貧困な福祉は、主婦のエゴを媒介にして、女性

開放へとたどりつく。老人問題が、女性問題だといわれるの

は、本当はこういう理由だったのだ。