一八八八年、ロンドン東部ホワイトチャペル。
帝国の中心から数マイルしか離れていないにもかかわらず、そこには別の国があった。ガス灯は弱く、石畳は常に湿り、排水溝からは腐敗した野菜、馬糞、安酒、汗、石炭の煤が混ざった重い臭気が立ち上っていた。夜が深まると路地は暗闇に溶け、巡査の足音が遠ざかれば、そこは一瞬で無人になる。
社会改良家チャールズ・ブースの貧困調査によれば、この地区では人口の三割以上が慢性的貧困層に分類されていた。ブースの地図では黒や濃紺で塗られた区域が広がる。そこは「最貧困」「半犯罪的」と記された地帯だった。統計は冷たいが、その内側で人は生きている。一晩四ペンスのドス・ハウスに泊まる金がなければ、床板も与えられない。二ペンスなら壁にもたれかかって眠る“ツープニー・ハングオーバー”。金がなければ路上だ。
売春は職業というより、日銭を得るための即席の取引だった。一回二〜四ペンス。酒場の裏口、暗い中庭、倉庫の影。相手は酔客、船員、日雇い労働者。暴力は珍しくない。警察は介入しない。彼女たちは記録上「unfortunate class」と呼ばれた。
一八八八年八月三十一日午前三時四十分頃、バックズ・ロウ。巡査ジョン・ニールがガス灯の下で布の塊のようなものを見つける。近づくとそれはメアリー・アン・ニコルズだった。仰向け、スカートは持ち上がり、喉は深く裂かれていた。
検視医の証言。
“The throat was cut from left to right… the incision was very deep, extending to the vertebrae.”
喉は左から右へ、脊椎に達するほど深く切開されていた。
腹部には複数の切創。衣服は血で湿り、石畳にも暗い染みが広がっていた。
争った形跡は乏しい。叫び声を聞いたという確実な証言もない。ここは推測になるが、犯人は背後から接近し、迅速に喉を切断した可能性がある。致命傷を与えた後、腹部に刃を入れた。作業は数分以内だったと考えられている。
翌日、The Times は報じる。
“Another murder of a woman of the unfortunate class occurred in Whitechapel…”
またしても「不幸な階級の女性」。
個人の名は二行目に追いやられる。都市はまだこれを連続殺人とは認識していない。
ニコルズは事件当夜、宿泊費四ペンスを持っていなかった。友人に「もうすぐお金ができる」と語り、通りに戻った記録が残る。あと四ペンスあれば、屋根があった。四ペンスの差が、石畳と寝床を分けた。
九月八日午前六時前、ハンベリー街29番地裏庭。アニー・チャップマンが発見される。冷たい朝気の中、住人ジョン・デイヴィスが戸を開けたとき、そこに身体が横たわっていた。喉は切断寸前まで裂かれ、腹部は大きく開かれていた。
検視審問で医師ジョージ・バグスター・フィリップスは証言する。
“The body was terribly mutilated… the uterus was entirely removed.”
子宮は完全に取り去られていた。
さらに、
“The abdomen had been entirely laid open, and the intestines were placed over the right shoulder.”
腹部は完全に開かれ、腸は右肩の上に置かれていた。
この配置が意図的なものか、作業中の副産物かは断定できない。ただ、暗い裏庭で数分以内に臓器を摘出するという行為は、明確な目的性を示唆する。ここは推測になるが、犯人は少なくとも人体構造をある程度理解していた可能性がある。しかし専門外科医と断定できる証拠はない。
同日、The Star は煽る。
“The murderer is no ordinary criminal…”
怪物という言葉はまだ紙面に現れないが、その輪郭は形成され始めていた。街では外国人への疑念が膨らみ、ユダヤ人街区では暴動の気配さえあった。恐怖は常に“他者”を必要とする。
チャップマンもまた、宿泊費を得るために路上に出ていた。体調は悪く、結核の兆候があったとされる。それでも四ペンスが必要だった。
四ペンス。
この金額が繰り返される。
ニコルズ、チャップマン。
二人とも深夜から未明にかけて、屋外で、喉を切られ、腹部を損壊されている。
ここで初めて、警察は連続性を疑い始める。
Metropolitan Police は巡回を強化し、私服警官を投入する。しかしホワイトチャペルは迷路のようだ。細い路地、抜け道、倉庫の影。犯行現場はいずれも数分で闇に溶けられる位置にある。
ここは推測になるが、犯人は地理を熟知していた可能性が高い。偶然の選択ではなく、逃走経路を計算していたと考える研究者もいる。
九月中旬、街の空気は変わる。女性たちは二人で歩くようになり、酒場は早く閉まる。巡査は増えるが、闇も増える。ガス灯は頼りない。石畳は相変わらず湿っている。
九月三十日。一八八八年で最も血の濃い夜。
午前一時頃、バーナー街。エリザベス・ストライドが発見される。喉は左から右へ切られていたが、腹部の損壊はない。暗闇の中、馬車が通りかかったという証言がある。犯行は中断された可能性が高いとされる。
検視では、切創は比較的単純で、致命的ではあるが“作業”は始まっていなかった。ここは推測になるが、犯人は時間を奪われた。あるいは目撃の危険を察知した。
ストライドはスウェーデンからの移民だった。英語は流暢ではなく、生活は不安定だった。当夜も宿泊費を持っていなかったとされる。
また四ペンスである。
その約一時間後、午前一時四十五分頃、ミトル・スクエア。今度はロンドン市警の管轄内。キャサリン・エドウズが発見される。場所は首都警察ではなくロンドン市警察の担当区域だった。二つの警察組織が存在することが、この事件の捜査をさらに複雑にする。
エドウズの遺体はより激しく損壊していた。喉は深く切られ、腹部は大きく開かれていた。
検視医の記録。
“The abdomen was laid open… the left kidney was removed.”
左腎臓が摘出されていた。
さらに子宮の一部も切除されていたとされる。
顔面にも切創があり、鼻の一部が損壊していた。これは怒りか、象徴的行為か、単なる動作の延長かは断定できない。ただ、屋外でありながら犯人は一定の時間を確保している。巡回警官が数分おきに通る区域であることを考えると、犯行は驚くほど大胆だった。
この夜は後に「ダブル・イベント」と呼ばれる。
二人。
一時間。
二つの警察管轄。
街はもはや偶発的殺人とは考えなかった。
同日、ゴールストン街の壁に書かれたとされる落書きが発見される。
“The Juwes are the men that will not be blamed for nothing.”
この文言は反ユダヤ感情を煽る可能性があるとして、夜明け前に消去された。判断したのは首都警察長官サー・チャールズ・ウォーレンである。
証拠保全より治安維持を優先したと批判されている。ここは史料に基づくが、当時の緊張を考えれば政治的判断だったとも言える。
そして九月二十七日付で、Central News Agency に届いていた書簡が、新聞に掲載される。
“Dear Boss…”
“I keep on hearing the police have caught me but they wont fix me just yet.”
“The next job I do I shall clip the lady’s ears off…”
“Yours truly, Jack the Ripper.”
この瞬間、怪物に名前が与えられた。
“Jack the Ripper”。
新聞各紙は競ってこの名を使う。
The Times も、The Star も。
真筆かどうかは断定できない。模倣犯の可能性、記者による創作説もある。ただ重要なのは、名前が定着した事実である。匿名の男は神話に変わる。
十月十六日、ホワイトチャペル自警団代表ジョージ・ラスクのもとに届いた小包。中には手紙と保存液に浸された腎臓片が入っていた。
“From hell.”
“I send you half the Kidne I took from one woman…”
腎臓は人間のものと鑑定されたが、エドウズのものと断定はできていない。検体管理は不十分で、証拠能力は限定的である。それでも報道は十分だった。怪物は臓器を送りつける存在として語られる。
十一月九日、ミラーズ・コート13番地。メアリー・ジェーン・ケリー。
彼女は若く、比較的安定した部屋を持っていた。屋内犯行である。午前十時四十五分頃、家主の助手が家賃催促のため窓から覗き、惨状を発見する。
検視記録。
“The face was hacked beyond recognition.”
顔面は判別不能。
腹部は広範囲に開かれ、内臓は室内に置かれていた。
“The heart was absent.”
心臓が見当たらなかったという証言もある。
室内の壁には血痕が飛散し、ベッドは血で飽和していた。暖炉には燃やされた衣類。犯人は屋外と違い、時間の制約を受けなかった。ここに至り、損壊は制御を失ったようにも見える。だが衝動的暴走と断定するには証拠が不足している。
ケリーの事件以降、典型的な手口の殺害は確認されていない。
なぜ終わったのか。
死亡、収監、精神病院への収容、国外逃亡。
いずれも可能性はあるが、決定的証拠はない。
Metropolitan Police の報告は冷静である。
“No evidence has been obtained which would justify the arrest of any individual.”
数百人が取り調べられ、精神疾患者、屠殺業者、移民、医師が疑われた。後年、アーロン・コスミンスキーの名が浮上するが、当時の証言は曖昧で、決定打に欠ける。DNA報道もあるが、検体の由来や汚染の可能性が指摘され、学術的合意には至っていない。
都市は再開発され、石畳は舗装し直され、ドス・ハウスは取り壊された。しかし一八八八年の数か月間に起きた出来事は消えない。五人の女性の生活は統計に吸収されたが、“Jack the Ripper”という名は文化として保存された。
血は乾く。
新聞は残る。
神話は拡張する。
ダブル・イベントの直後、ロンドンは二つに割れていた。
管轄をめぐる摩擦である。
ホワイトチャペルは主に Metropolitan Police の管轄だが、キャサリン・エドウズが殺害されたミトル・スクエアはロンドン市警察の区域だった。二つの警察組織は情報共有を行ったが、指揮系統は別である。証拠の扱い、巡回経路、尋問手法に微妙な差があった。
当時の警視総監サー・チャールズ・ウォーレンは軍人出身で、秩序維持を最優先した。ゴールストン街の落書きを夜明け前に消去させた判断は、暴動回避という意味では理解できるが、物証保存という観点では批判され続けている。
警察は無能だったのか。
単純な話ではない。
十九世紀末の捜査技術は限定的だった。指紋制度はまだ導入前、血液型判定もない。現場保存の概念も現在ほど厳密ではない。夜間照明は乏しく、写真撮影も困難。証言は主観に依存し、群衆の噂が混ざる。
ここは推測になるが、犯人が捕まらなかった最大の理由は、超人的知性よりも、当時の捜査限界と都市構造にあった可能性が高い。ホワイトチャペルは人口密度が高く、夜間も人の出入りが多い。犯行から発見までの時間は短いが、その短さが逆に証拠収集を困難にした。
事件後、警察は数百人を事情聴取し、家宅捜索を行った。精神疾患者リストも精査された。ここで後年名前が挙がる人物の一人がアーロン・コスミンスキーである。ポーランド系ユダヤ人の理髪師で、精神疾患の記録がある。後年の警察回顧録で言及されるが、同時代の公式記録では決定的証拠は示されていない。目撃証言との照合も曖昧で、法廷に持ち込める水準ではなかったと考えられる。
一方、画家ウォルター・シッカート説は二十世紀後半に浮上する。芸術作品に見られる陰鬱な室内描写や匿名書簡との筆跡類似が指摘されたが、これも学術的合意はない。筆跡鑑定は確定的手段ではなく、書簡自体が真筆かどうか疑わしい。
王室陰謀説も根強い。王族の不祥事隠蔽のための連続殺人という筋立てだが、これは後世の創作に依拠する部分が大きく、同時代の一次史料による裏付けは乏しい。魅力的な物語ではあるが、証拠とは別である。
二〇一〇年代にはDNA解析による犯人特定報道もなされた。しかし、問題となったショールの来歴、保管状況、汚染可能性について多くの研究者が疑義を呈している。十九世紀末の物証がどれほど厳密に保存されていたかを考えれば、断定には慎重であるべきだろう。
では、なぜ「ジャック」だけがこれほどまでに神話化したのか。
同時代にも他の殺人事件は存在した。だが、ここでは三つの要素が重なっている。
第一に、連続性。
短期間に、類似手口で、複数の被害者。
第二に、身体損壊の強度。
単なる殺害ではなく、腹部切開と臓器摘出という異様さ。
第三に、メディアの爆発的拡散。
“Jack the Ripper”という名前。
署名。
挑発的文面。
新聞は怪物を必要とした。都市もまた、貧困や社会問題から目を逸らす象徴を必要とした可能性がある。売春婦が殺された、では紙面は埋まらない。怪物が現れた、なら売れる。
ここは推測になるが、ジャックという存在は犯人個人というより、都市が生み出した物語装置だったのかもしれない。貧困、移民問題、警察への不信、急速な都市化。その不安が一点に収束した象徴。
五人の女性の生活は、統計の中では「最貧困層」として処理される。しかし、彼女たちはそれぞれ固有の名前を持っていた。
メアリー・アン・ニコルズ。
アニー・チャップマン。
エリザベス・ストライド。
キャサリン・エドウズ。
メアリー・ジェーン・ケリー。
彼女たちは怪物の物語の中で役割を与えられたが、本来は生活者だった。宿泊費四ペンスを探し、酒場を渡り歩き、寒さをしのぎ、朝を迎えようとしていた。
事件は突然終わる。
十一月九日以降、典型的な犯行は確認されない。
逮捕記録も、裁判も、告白もない。
残されたのは、公文書、新聞記事、検視記録、そして想像力である。
都市は変わった。ホワイトチャペルは再開発され、観光地化され、ガイドツアーが夜の路地を歩く。怪物は商品化され、映画、小説、研究書に再生産され続ける。
だが一次史料に戻ると、そこにあるのは冷たい文面だ。
“No evidence has been obtained…”
証拠はない。
名前はある。
血は乾き、石畳は洗われ、建物は壊された。
しかし印刷された署名は残った。
切り裂きジャック。
実在の人物であったことは確かだ。
だが同時に、それは十九世紀末ロンドンの不安が生み出した象徴でもあった。
そして象徴は、犯人よりも長く生きる。