中学上がって、小学校でできた親友も一緒の中学だった

もう一人の親友は違ういい中学に入ることになったので、

自分の卒業式で泣いたのは

たぶん小学校が最後な気がする。


中学は最初は楽しかったけど、金銭問題を起こしてしまった

所謂、おごった・おごってない貸したみたいな。


仲良くしてくれてた子が手紙で「○○日までにもってこい」みたいな手紙だったり無視とか地味な嫌がらせとかで、先生に相談したらそういう風に発展していった。


お金の貸し借りはよくないね、、おごられるのは今でも苦手。


親子二人では何かと不便じゃないかと言って、お手伝いさんが良く気にかけてくれていた。


遊びにも行ったことあるし、初めてのおなか痛いのも暖めるのよーみたいな

アドバイスもらった気がする。

その辺は父でも難しかっただろうからw


反抗期はなかった、というか反抗したって実の父親は一人なんだから

反抗してどうすんの?みたいな感じかな?

お父さんキモーイとかいうあれがよくわかんなかった。


でも一つ。

お手伝いさんと父がいい関係?になったらしく突然私に

「もし、この人がお母さんになったらどうする?」って聞かれて

「いや、本当のお母さんじゃないし・・・」って言ったらめっちゃ怒られた。

謝れ!!!!みたいな、めっちゃ怖かった。

「本当のお母さんがいいならそっちいけば?」みたいなことも言われたけど

私にはお母さんがどんな人かわからなかったし父と一緒に住んでいたかったから謝った。


まぁ結局その人がお母さんになることはなかった。


その時の考えは。

友達の家に泊まるとして、義理のお母さんにも了承得なきゃいけないし

お父さんにも了承も得なきゃいけない。え、面倒だなーくらいしか思ってなかった


とくに母親を求めた覚えはない。

1~3歳の頃はどうだったかわかんないけどw


お父さん居るからいらないじゃんって思ってた。

父としては母親もいるんじゃないのかって考えだったかもだけど

親が二人って面倒じゃないかなーくらいしか思ってなかったわww


うちの家にはよく仕事仲間が飲みに?ご飯食べに?かわからないけど

よくおじさんたちが遊びに来ていた。

豪邸に住んでるお兄ちゃんとかも遊びにに来てくれて、一緒にゲームしたりしてたし、甘えてた。普通に。


その中でも変な人に出会った。

お手伝いさんの弟さん(以下G)だったらしく一階に住んでる人で頻繁に遊びに来てくれたりしてくれてた。


玄関開けてすぐが洗面台とオフロとトイレ。脱衣所がなかったんだよね。

敷居みたいなカーテンもなしw


ある日夜、お風呂入って上がって体拭いてたら、ガチャって扉が開いたんだわ

そこにはGが・・


私「!?」

G「・・・あ、あごめん」


とか言って玄関閉めてそっからあんま覚えてないけど

父に、鍵かけてなかったの!?って怒ったら、お前がかけてないのが悪いみたいな。


私は後姿だったけど裸見られたしありえなーーい!ってなって

中学の親友(以下E)とか女先輩(K)に相談したりしてた。


E「えーなんかやだぁ」

私「だよねー」

K「なんかあったらいえよー!」


みたいな。


まぁ事故だしそれ以上はないだろう、私も気を付けようと思った。

Gに対しても普通の態度とったし、なにより父のお客さんだしね。


でもその日からかなんだか違和感を感じるようになった

豪邸のお兄ちゃんと遊びに来たとき泊まることになって

私、真ん中でお兄ちゃんとGに挟まれて川の字みたいな。

寝る場所なかったっていうのもあるのかな、そんな感じ。だったかな

今思うといい歳の女の子と男の人寝かせるとかありえないんじゃ・・・って思ったり。


寝てたらなんか胸辺りがもぞもぞするの。なんか変な感じがして目が覚めたら

フっと胸から違和感がなくなった。首を傾げながらもそのまま眠かったから

寝ちゃったんだよね。


ま さ か と結構疑ったけど。←


でも、親には言えなかった、勘違いだと思ったし。なんか言えなかったし

でも決定的なことが2回あった。


一緒に寝るとかなくなったんだけど、寝てたらふすまが開いていたんだよね

ふすまに足を向けて寝てたんだけど、そしたら下から手が伸びてきたの

どこ触りに来たかスッゲーーーわかりやすくて

心拍数バクバクで眠れなくて、手を押しのけてやめろやめろやめろって思って

やめてくれたけど、翌朝言えなかった。


なんであんなことしてきたのか。怖いなぁってEとKに言ったら

親に言ったほうが良いって言われたけど、父のお客さんをそんな風に言ったら

父が嫌な思いするかもしれない、いうのも恥ずかしかったし無理・・だった。


私が何も言わないからか、その人は全然普通の顔して家に遊びに来てた

ほんま今考えたら頭どうかしてる(私も)


で、決定打。


その人は泊まることになって

私は襖しめて布団の位置も変えて寝てた。



気配に気づいた。気持ち悪い気配にガバっと起きたら

足元に積んでる布団で寝たふりしてた。Gが


なんか・・・怖いって言うか。それよりも

なんかこいつなんやねんな、キショイ。って舐められてるって思ったから

足でドカって蹴って低い声で

「テメェの部屋はあっちだろ」っていったら

「あ、ふwrぴうえ;tじゃt」ってなんかわかんなこと言ってたか

無言だったか、自分の寝床に戻った。


それからその人がいない朝に父に勇気を出して言った

それからGは来なくなったし顔も見なくなりました。生きてたらいいね(


そこから平穏な日々だったんだけど、突然父が倒れて入院とかになって

そのあと私は、また転校することになった。




思い出しているのを一気に書いているので

連投になってると思いますw


父に連れられてきた家は大きい家。

でも、一戸建ての寮みたいで中にはおじさんたちがいた


2階二部屋あって一部屋ずつ1人。

1階は大きい台所と部屋が3つ。


私たちは玄関の近いドアの着いた部屋に住むことになりました。

お風呂もトイレも共同お風呂の近くにトイレがあるからちょっと気になったかも。でもおじさんたちはいい人ばかりで

女の子というのもあって可愛がってくれていました。


誕生日におもちゃ買ってくれたり、お年玉くれたり。

優しい人ばかりだったからかな。

おじさんたちと週に何回か飲み会みたいな感じで

お鍋して、台所で集まってお酒飲んでたりしてた。

そこでカブとか賭け事???みたいな遊びも教えてもらったような気がする

もちろんかけないでw


髪も伸ばしてた。

父が「女の子なんだから長いほうが冬は可愛い」といって全然切らなかった

前髪は父に切ってもらってたし、運動会はおじちゃんたちや、お手伝いさんとか来てた気がする。


父の料理はすごく上手。ものすごくおいしい。とくにだし巻き卵がおいしかった。

今はわけあって実家に住んでないのだけど実家行くときは作ってもらってる


お弁当も夜のご飯も父が作ってくれていた。

今思うとかなり甘やかされて育ったんじゃないかというくらい溺愛されていたといえるw


私も父が大好きだったし、父の言うことが正しいと思って育ってきた

出ていけ!って言われないようにしようと思ったこともある。

わがままして怒られてお尻けられたくらいしか覚えてない・・・かも?


当然なのか、そうじゃないのかわからないけど

父も酒癖が悪かった。知らない人に絡んだりとか;

説教ばっかりされたりとかきつかった思い出もある。

起きたらおぼえてないこともしばしば。

私自身何で怒られたっけ?って思う、ほとんど覚えていないのだw

喧嘩っ早い所もあるから家のおじさんとケンカしたこともある・・とおもうw


でも何よりも大切に育ててくれてたと思う。

私は私で、中学くらいになって恋愛に目覚めた。というか小学6年くらいに

優しい中学校のお兄さんに憧れてた。


公園で仲良くなった女の子のお兄さんだった。

すごく妹思いの優しいお兄さん。

2人いたけど片方には嫌われてたw

なんでかはなんとなくわかるけども。


学校はほどほどに行ってた。遅刻しまくりだったけど

親呼び出されたこともあったような気もする((


中学に上がって、私も思春期とか気にしてくれたみたいで引っ越すことになった

さすがに中学くらいの女の子とおじさんたちとは暮らせないでしょうしねw


アパート借りて二人で住むことになった

前回、父に誘われて一緒に住もうと言われた私は嬉しがっていた


転校も嬉しかった。新しい場所、新しい学校。どんな人がいるのかとか

もういじめられなくて済むとかいろいろ考えて


「うん!!お父さんと一緒がいい」と言った


でも祖父は嫌だったみたい。

長くそこに住んでると離れがたいものがあるんだなって今は思うけど。

私が二つ返事して少し驚いたみたいだった。


一緒に行きたかった

これは今でも思っている、一緒に住めたらよかったなぁって。


私が関西に行くことになって時期が迫ると祖父が怒ったような悲しいような顔していた。


「おじいちゃん?」って言って寝てるであろう祖父の布団に入った

後ろ向いている祖父が突然

「行きたきゃさっさといけ!!」って言いながら泣き出した

私はびっくりして「ごめんね、ごめんね、じいちゃん、ごめんね」って

その日は二人でワンワン泣いた。


そこからどんな顔して別れたか覚えてない。

ただ叔母にバリカンで物凄い勢いで髪を切られて私は男の子みたいな

髪型になった。ベリーショートかな、今で言う。しかし女の子にバリカンて。

でもそのおかげで、毛じらみは治った


祖父と次会ったのは中学に入ってからだったと思う。


思い出すと少し涙目になる。本当に大好きだったから



それからして私は関西にいくことになるのだけれど

すぐに父と二人では住めなかった。

父の勤める会社の会長さんのところで預けられることになる。


少しの辛抱だって言われて知らない人たちと暮らすことに。

そうだ、父と言えば若さもあってか恋愛も絶えなかった

「この人がお母さんになるかもしれない」と言われて遊園地に連れていかれたこともある。


まぁどの人もお母さんにはなれなかったみたいだけど。

出会い系サイトでもしてたんだと思う。そんなこと言ってたw


まぁそれは置いといて


私はその暮らしがびっくりだった。

大きい家、大きい庭、会長さんこえぇえ(顔が)お手伝いさんもいる

奥さんもなんか若い、釣り目の人。美人だけどなんか怖い

お手伝いさんも優しいけどなんか厳しかったような。


子どもは大きいお兄ちゃん(高校生)と3歳くらいの女の子。

めっちゃ離れてるけど実の子供という、前の生活とは異なることが多すぎて

びっくりしまくった、二階がある、部屋が大きい、自室もくれた

(大きくなったら女の子の部屋になる予定の部屋だったみたい)

食卓はこれでもかってくらい量がハンパなくてびっくりしていたのを笑われた

服も大きくなったら女の子に~とか言いつつ買ってくれた(と思う)


大雪も初めて見た。すごかったw

高校生のお兄ちゃんとは仲良くしてもらってた、ゲームいっぱい持ってたし

遊んでくれた。ときたま怒られてたけど。


新しい学校では訛りが気になったのかよく質問されてた

でも関西の明るさがすごくて楽しかったし、すぐに打ち解けられた


でも一つだけ


父親とはいっしょに住めなかった。

住む家探してたのか借金があるから自身も貧困だったのか忙しかったみたい


転校初日にベンツできたもんだから、お嬢様か何かと勘違いされてた;

イジメとか全然なくてみんな面白かった。明るいなぁ、が印象的だった


数カ月になって友人も出来て、楽しかったんだけど。

父がやってきて、一緒に住む家が見つかったみたいで

やっと父親と一緒に住めるようになった


その学校の友達との生活が短くてどうも思い出せないけど

数カ月だったし、でも楽しかった。


お世話になった会長さんの家の方々にも挨拶をして私はその家を出ることになった


でも「何かあったら頼ってね」とお手伝いさんとか言ってくれたので

付き合いはしばらく続くことになる。


ちなみにお嬢様と思われていただけなので、本当にw

とてもいい暮らしをさせてもらったと思ってる。




私の生い立ちを話す前になんでブログを書こうと思ったか。

思ったことや感じた事忘れないようにしたいから。

その日何があって何を思っていたのか。


何を感じで何を求めていたのか、それを思い出すため

普通に読んでて楽しくないと思う。だって暗い話しか最初は出てこないだろうし

でも、きっと明るい楽しい話題もかけるようになるだろうから。


最初はこんな感じにやっていこうと思う。


私は冬璃(フユリ)。28。

数字で表すとすごく大人な年齢かもしれない

でも、心が全然育ってる気がしないただの子供。寂しがり屋の


私が産まれたのは九州。

母親の顔は全く覚えていない。声も、なにもかも。

私が産まれて3歳くらいで離婚したらしい。義理の兄がいるらしい

一緒に遊んだこともあるらしいが覚えていない。ただ、学生帽をかぶった

男の子が家から出ていく、、という記憶しかない。


母も義理の兄も名前しかわからない。会いたいと思ったことはない

なんでだろうね。自分を捨てた母親だと思ってるからだろうか?

今もそんなに会いたいと思わない。あっちはどうだろうか

私は父親に引き取られた。父親が引き取ったときは20代前半と思われる


とても若いお父さんだったから自慢だった。

22歳くらしか離れてないはず。確か今年で50とかなんとか。


でも記憶にあるのは祖父と過ごしたほうが多い気がする。

最初は父もいたけれど、地元にはいい仕事が無くて出稼ぎという形で

関西方面に仕事に行くようになって小学校3年生くらいまでは祖父と暮らしてた

他に兄弟は居なく私は一人っ子で

近くに父の妹(つまり叔母)と子供(従姉妹)が住んでいたくらい。


でも今思えば祖父も結構ひどい人だったのかもしれない

パチ好き、酒好き。仕送りも全部使っちゃうもんだから家にお金がないのは

当たり前だった。

酒癖も悪かった。怒ると怖かった。でも私にとってはいい祖父だった

大好きだった。

お金がないとごはんもまともに食べられなかった。

インスタントラーメンに煮物が多かった気がする。

そのせいか私はラーメンが少し苦手だ


貧乏だからか私の性格が悪いのかイジメにもあった

学校も行くのも嫌だった。先生がお節介だった

暗い子だった。


お金が無く、叔母のところへ行くといい顔はされなかった

「なんで酒飲んだじぃちゃん連れてくるんだ」と叔母に怒られたこともある

従姉妹や従姉妹のお父さんはとても優しい人だったが叔母はあまり優しかった覚えが無い


小学校入って、頭が良いだの、イイコとか可愛いとか、周りが褒めてくれていた

それが叔母にとっては気に入らなかったのかもしれない。当たりがきつかった

従姉妹の一番上は私と同い年で生まれたのは私が一番最初だからか周りに

可愛がられていたんだろうとか、そういうのはなんとなくわかった


体も細い。色も白い。従姉妹は反対で色は白いけどふくよかだった。

小学2年で一番びっくりしたのは体重だ。19キロくらいしかなかった。

そのあと、毛じらみにもなった。

家がキレイではなかった。すごく汚かったの覚えてる。

それに今も私は片づけられないでいる。

毛じらみになったときはつらかった。白い粉みたいなのを頭から振りかけられて

猫のヘアケアみたいな鉄の櫛でガシガシとやられて痛かった思い出しかない

猫毛で細いのでよく引っかかり、雀の巣みたいな言い方もされてた

髪色も生まれつき栗色で染めてるんじゃないかって一度言われたことがあって

父が激怒してた覚えがある。


父が帰ってきたとき、抱き上げてもらうと軽すぎる、おかしいってなって

病院に行ったら栄養失調って言われて点滴されたこともあった。

血が取れなくて耳たぶから採血した覚えもある

「仕送りしてるのに」と父は言うが今思えばお酒・たばことかに消えていってたのかな?っておもう節もある。

でも私は祖父を嫌ったことなど一度もなかった。

助けてほしいと思ったこともなかった。

なんでだろう、すごくおじいちゃん子だった


帰りが遅いと泣きながら探したり(道路で酔っ払って倒れてたこともある)してた

でも父は思ったんだと思う。このままだと冬璃が死んでしまうと。


もうほとんど記憶にないけれどある日突然父が帰ってきて

「一緒に関西に行こう」といってくれた


実は父には弟と姉がいるのだが弟の方(叔父)も

「一緒に住もう」と言われたが祖父が断ったので祖父が行かないなら・・・

ということで私も断った。祖父と離れたくなかったからだ

でも父親に一緒に住もうって言われたときはすごくうれしかった。

一緒に住めるんだって思えてうれしかった、すごく


でも祖父は違ったみたい(続く)