先日も、皆様に紹介いたしました幸田文さんの『しつけ帖』を、思いつくままに開いたり閉じたりとしながら、初夏というにはまだしんとした空気の夜を、所在なく過ごしています。

この本に巡り合って、私は、今は亡き幸田文さんを、身近な、それでいていつもそばにいるというわけではない、まるで祖母のような存在として感じています。

遠い遠い思い出の中から引っ張り出してきた言葉たちが、春の霧雨のように、しっとりと私の心の中に染み入って還っていくのを感じています。

ある思いが言葉となり、言葉が文章となり、文章がひとつの章となり、章が集まりそれが小説となり、そして、小説が一冊の本になる。

その本が、誰かの手に渡り、その小説を読み、章を踏まえ、とある文章に触れ、その言葉が心に帰り、新たな思いがうまれていく。

書物の素晴らしさについて、多くを語ることは控えておきましょう。

なぜなら、今、目の前にいあるあなたは、すでにそれをご存じでしょうから。

とても確かなことは、言葉には、匂いがあり、感触があり、そして、ぬくもりがある、ということ。

それにしても、眠りにつき、そして、眼ざめの朝がやってくるのは、まるで、私という物語を、一頁一頁めくって進めていくかのようですね。