卒業旅行から約3年弱が経ち、新入社員で入社した会社を退職。転職先も確定した。入社してからの仕事はあまりにも忙しく、年間あたりの休日は50日程度しかなかったのではないか。そんな状況だったので、タイへの思いはすっかり忘れていた。しかし、転職先が決まってからというものタイへの思いが復活し、今回はタイのみの5泊6日旅行を計画をした。人生初の海外1人旅である。エアーインディアの航空券を購入し、今回は10万円程度を持って、出発となった。

 12:00成田出発予定であったので、2時間前の10時頃エアーインディアのカウンターに並んでいると、女性に声をかけられた。彼女は小生とタメで山中さんといい、ロンドンに短期留学するのだが、バンコク経由のチケットであったので、ストップオーバーし、2泊3日ほどバンコクに滞在するとのこと。小生に声をかけたのは、預けられる荷物の重量は1人当たり25kgで、それを超えると追加料金が発生してしまう。そこで、1人旅で少ない荷物の小生と同乗者となり、2人で50kg以内の荷物として、追加料金が発生しないようにするための対応であった。まあまあ可愛いし、飛行機内では彼女が隣に座ることになり、おじさんが座るより全然良いので、快く了解し、そこではいったん別れた。
 搭乗すると予定通り山中さんが隣に座る。お互いに自己紹介をしたところ、彼女はフィアンセがおり、留学が終了したら結婚するという。まあ、小生に対し、ワンクッション置くためかもしれないが。小生が宿をガイドブックで検討していると、彼女はバンコクのガイドブックも持ってきておらず、見せて欲しいとのこと。観光したい場所やバンコクでやりたいことを話すうちに同じようなエリアを志向していることが分かり、一緒にホテルを探すことになった。小生は、飛行機内のみの関係と思っていたが、まあ、それはそれで楽しいかと思い、延長されることとなった。
 16:00頃、ドンムアン空港に到着。地球の歩き方で見つたプラトナーム市場よりやや北に位置し、周辺にはバイヨークスカイホテルやインドラリージェントホテルがあるエリアの中級ホテルに向かった。しかし、満室であったため、仕方なく、他のホテルを探していると、600バーツでエアコン、ホットシャワー付きのサービスアパートメントがあった。部屋もかなり綺麗であったので、ここに決定。部屋はツインであったが、当然別々。彼女は隣の部屋であった。
 夕食を一緒に食べることとなり、ワールドトレードセンター近くのテキサスといタイスキを食べに行くことに。お酒を飲みながら、楽しく会話をし、山中さんとの親交を深めることが出来た。翌日は一緒にニューハーフショーを見に行くこととなり、18:00に約束する。その後、彼女は予定があるらしく、店の前で分かれ、小生はパッポン近くのマーブルハウスというタイマッサージへ。マッサージ嬢は、子持ちのおばさんであったが、独身&1人旅であることを話したところ、19歳のマッサージ嬢を呼び、彼女に昼間案内してもらいなさいと世話をやいてくれる。2人にマッサージをしてもらい、王様気分で気持ちよかった。19歳の彼女は、素朴な感じでまあまあの可愛さであったので、お願いすることとし、AM11:00にマーブルハウス前で待ち合わせの約束をする。おばさんからは、絶対来るように念を押され、小生も100%行くと回答。もちろん口だけであり、結局次の朝、起きたのがAM11:00頃でブッチしてしまった。彼女には悪いことをしてしまった。本当のところは、おばさんが彼女を紹介した意図が分からず、小生をはめようとしているのかもという考えが頭をよぎり、行かなかったというのが正直なところであった。・・・つづく

 5日目。AM7:00頃、ハジャイに到着。先程お話したように、タイNo2の町ではないという印象と、実際高い建物がなく、皆、田舎町と感じたのか、長距離タクシーでからマレーシアのバターワースに行き、フェリーでペナン島へ向かうこととなった。9:00頃には、うまく長距離タクシーに乗ることができ、バターワース到着は15:00頃であった。結局タイ滞在期間は当初の予定より1日短くなってしまった。結局この旅でも、タイに忘れ物をしてしまった気がしてしまい、再び訪れることを誓ってしまうのである。もし、仮にハジャイに滞在し、MPで遊んでいたのなら、再びタイの地に訪れることはなかったかもしれない。
 ペナン島は、ランカウィ島よりも賑やかで、海も透明度も想像より悪かったが、ここではレストランで出会った現地の日本語ペラペラのマレーシア人と仲良くなり、多少値引きをしてもらい、ジェットスキーやバナナボート等を楽しだ。また、大林氏には、ここでツキがやっと回復したのか、そのマレーシア人に誕生日のケーキをただで貰い、楽しい思い出が出来たのであった。
 2泊し、再びフェリーで本土に戻り、鉄道でクアラルンプールに向かう。翌日の早朝到着し、そのままバスターミナルから、ゲンティンハイランドへ。今回は20歳を越えているので、カジノを思い存分楽しめると思っていたのだが、小生、大林氏以外はすぐにカジノに飽きてしまい、部屋の中でウノで盛り上がっていた。おかげで、カジノの思い出はあまりないのである。
 ゲンティンでは2泊滞在し、早朝クアラルンプールに戻った。ここで、長額氏は大学のヨット部部長であり、追出しコンパにどうしても出席しなければならず、1日早く、帰国しなければならなかったため、鉄道駅で長額氏を見送った。列車を追いかける石崎氏と森氏の写真が今でも残っている。予断であるが、帰国後、長額氏は必修の試験で合格点が取れず、留年する結果となった。もし、この卒業旅行に来ていなければ、研究室の教授が何とかできたのにと言っていた。就職もおじゃんとなってしまい、当時は申し訳ないなと思ったが、今では綺麗な奥さんと結婚し幸せなので、小生のおかげで幸せになったぐらい思っている。
 話を戻すが、その後、クアラルンプールのチャイナタウンで1泊し、翌日、鉄道でシンガポールへ。ここでは前回のようにケチらず、ホテルを取ったので、マーライオン以外にもラッフルズホテル、夜の街も観光し、帰国となった。
 この旅行でも、確かにもう1度、タイに来ることを決意したが、タイタイ病にはなっていない。次回あたりからだったかなー。
 4日目。ホテルに戻って寝るときには、やや明るくなっており、なかなか起きられず、チェックアウトは12:00ギリギリであった。ハジャイ行きのチケットは2日目に購入していたので問題なかったが、食事の時間を考えると結構バタバタであった。石崎氏、長額氏は昨夜の話を聞いて、うらやましがっていた。
 ファランポーン駅に着き、前回と同じ時間の列車に乗った。取ったのは2等の寝台車で、昼間は対面に座り、夜は上下の2段ベットになる。今回は5人なので、1人があぶれてしまうのだが、4人は上下で、あぶれた1人は下段のベットを予約していた。あぶれたのは、じゃんけんで負けたコンドーム破れ事件から、ついていない大林氏であった。大林氏以外の4人は、昼間は仲間同士で対面で座っているので、楽チンであるが、大林氏の対面はおばさんなので、気を使いながら座っていた。夕方になり、ベットの準備が始まると、おばさんの上段ベットを大林氏の下段ベットと交換して欲しいと申し出たようだ。下段のベットは窓があり、広々としているのに対し、上段は窓もなく、天井も角が丸みを帯びていて窮屈である。チケット代も下段の方が高い。高いお金を払っているし、いやみなおばさんは交換するのが当然というスタンスなので、丁重にお断りしたのだが、足が痛いので、上りたくないなどごちゃごちゃ言う。大林氏は無視していたようだ。すると、おばさんは“Can you speak Englisg?“と大林氏に対し言い、更に大林氏の気分を悪くさせた。おばさんは知って言ったのかは分からないが、本来こう言った場面では”Do you speak English?“を使うのだが、Canを使う前者は、英語が出来ないことをやや馬鹿にした言い方なのである。ベットのセッティングが終わってからも、動こうとしないので、車掌を呼んで、対応してもらい事なきを得た。結局、おばさんは他のタイ人男性が交換してあげていた。・・・つづく
 3日目。前日、遅くまで反省会を行っていたため、昼頃ホテルを出発。ワールドトレードセンター(現在はセントラルワールド)、プラトゥナーム市場でショッピング等を楽しみ、夕方、恒例のタイマッサージへ。ここでは、ワールドトレードセンター前の通りの対岸に古びたショッピングセンターがあり、その中のパビリオンという指名可能なマッサージ店に行くことに。しかし、5人であったため、指名もさせてもらえず、ここでもいかがわしいことは何もなかった。今、この建物は建替えられ、高級ブランドが入居するショッピングビルとなってしまっている。
これからムエタイ観戦に行こうと、トゥクトゥクを捕まえたが、試合までかなり時間があるとのことなので、その前にちゃんとしたタイ料理を食べようということになり、運ちゃんお勧めのこじんまりしたお店に入る。美味しかったが、やや高かったので、運ちゃんにバックマージンが入っていたと思われる。今では運ちゃんの連れて行く店になどは絶対行かないが。
 その後、ルンピニースタジアムでムエタイを観戦。格闘技好きの森氏、長額氏は観客と一緒に叫んでいた。かなり楽しかったようだ。小生は当時、競馬が好きだったので、どうやったら賭けに参加できるのかが気になって仕方なかった。
 ムエタイ観戦後、さあ、どこに行こうかということになり、小生、森氏、大林氏はパッポンを押したが、石崎氏、長額氏は、昨日、それほど楽しめなかったからか、疲れたので部屋でゆっくりするとのこと。よって、昨日の3人で、再びパッポンへ移動。ムエタイ観戦後ということもあり、パッポン到着は22:00を過ぎていたと思う。森氏は昨日の彼女に会うため、同じ店に行くというので向かうと、森氏の彼女がペイバーされて、外に出てきた。気付かれないように後を突いていくと、男と昨日のラブホテルに入っていった。森氏は結構落ち込み、店の外で指輪をどうしようか悩み、途中屋台でクイティオを食べたりしていたため、いつの間にかパッポン到着か2時間くらい経過していた。森氏は、指は記念に貰っておくこととし、気を取り直して、昨日の店に行こうということとなった。
店には、昨日連れ出した彼女達はおらず、また、女の子の数も少なかった。そのため、小生たちの隣に女の子は付いてくれず、ステージの上のゴーゴーガールを見ながら、3人でバンコクのラストナイトを楽しんでいた。すると、のりの良い私服の女の子が小生たち3人に日本人かと聞いてくる。そうだと答えると、日本語を勉強しており、日本人と話すためにこの店に来たという。一般のタイ女性がこんなところに、それもこんな時間にいることに驚き、やや疑ったが、結局本当のようであった。
 彼女に1杯おごり、楽しく会話を楽しんでいると、いきなり店の照明が付き、明るくなった。どうやら閉店のようだ。午前1時半頃だったと思う。会計を済ませ、彼女も一緒に外に出た。店の外では出店の片付けがいっせいに始まっている。彼女ともう少し話しかったし、この片付けの雰囲気を味わいたかったので、スーパーマーケットの前で話すことにした。30分もすると彼女の友達と妹もやってきたのだが、皆テンションが高く、彼女達のアパートに行くことになる。6人でもやはりタクシーは1台である。場所は、パッポンからラチャダムリー通りに入り、プラトナーム市場、鉄道の線路を超え、2~3分行ったところだったと思う。15階建てのかなりの戸数の立派なマンションであった。部屋は1ルームでセミダブルのベットが1台、勉強机とタンス、テレビなどがあり、シンプルな部屋であった。タイ人の自宅に入った初めての経験である。
 部屋では、男女3対3という状況でありながら、特にイチャイチャすることもなく、日本語のテキストを見ながら、日本語を教え、宇多田ヒカルの歌などで盛り上がった。友達と妹はいつも間にかベットの上で寝てしまっていた。彼女はイギリス人と結婚しているとのことで、結婚式の写真も見せてもらった。旦那はイギリスにいるらしく、いずれ彼女も行くと言っていた。当時は、考えつかなかったが、彼女は以前ゴーゴーで働き、イギリス人の旦那に見初められて足を洗い、日本語の勉強をしているのは、旦那が帰ってこなかった場合、再度ゴーゴー復活なんてことも考えていたのかもしれない。
 このマンションの屋上にも連れて行ってもらい、バンコクの夜景を眺めることが出来たのだが、そこでの出来事が後々の予定を変えてしまうこととなった。というのは、小生は次に行くハジャイ(ハートヤイ)はバンコクの次に大きな都市であると皆に話していたのだが、大林氏が彼女に質問したところ、7 or 8番目ぐらいだと言ったのだ。おかげで小生は、皆にうそつき呼ばわりされ、その印象から、鉄道でいったんはハジャイで下車したのだが、結局、ハジャイに滞在せずにバスでペナン島に向かうこととなったのだった。おかげで、前回、発見したマッサージパーラー(MP。ソープランド)に行くことは出来なくなってしまった。それ以後、ハジャイに行くことはなかったので、前回の誓いは、儚くも崩れ去ってしまったのであった。
 すでにAM4:00頃であったので、彼女に帰ることを告げ、玄関まで見送ってもらった。特にお金は渡さず、彼女の連絡先も聞かずに別れた。連絡先を聞いておけばよかったと今でも思う。彼女は本当に日本語の勉強をするために小生らを誘ってくれたのだろうか?・・・つづく