過去においても未来においても、これは人間には達成できそうにない事柄であり、それは憲法上の紛争に関与する裁判官あるいは、憲法諸規定の制定を委任された人々についても例外ではない。日常生活における実践的推論との比較を行ってみよう。人がみずからの人生を左右するような決定を先送りするのは十分ありうる。たとえば、来年結婚するぺきか、または子どもは何人にすぺきか、ロンドンとパリどちらに住むかといった決定を、人は回避することがある。こんなふうに決定が回避されるのは、一つには事実と価値についての自分自身の考えが変わりうると知っているからである。それどころか、自分のアイデンティティ自体も大きく変わってしまうことすらある。したがって、人生について確固とした信条、これはライフコースに関する完全に理論化された構想のようなコモンウエルス・ハークの中心的な主張は、「ある国家を建設し、改革するための学問は、他のあらゆる経験科学と同様、先験的に教えられてはならない」というものである。この議論に際してハークは、一個人の思考によって発展させられた理論や抽象概念と、長い時間をかけて多くの人の思考から作り上げられた伝統とを対時させている。