実家暮らしだったころ
久しぶりに兄妹が遊びに来たので食事に行こうと誘われたことがありました。
しかし私は行きたくありません。
なので断った。
ところが強引に行こうと詰め寄る。そして行かないというと実家に厄介になっているのに...ホントダメな人だ という雰囲気を醸し出していく。
そして自分のいないところで自分の悪口がさく裂すると大体が自分が悪人化してきて家に居場所がなくなる。
なので渋々行くことにした。
兄妹としては高齢の親に車を運転させたくないが自分は最寄り駅に車で行きたいので送ってほしいというような算段だったらしい。
勝手に出発を十一時と設定され
これまた渋々準備をしたところ時間がオーバー。
すると開口一番遅い!時間を大切にしろ!とこちらを批判してきた。
自分とすると 不満でしかない。確かに遅れたが 逆に言えば自分の時間を切り渡ししているのだ。
感謝されこそすれ批判される謂れは無い。
食事のレストランでは兄妹が案の定実家暮らしの私を批判。
いい歳こいての体たらくだの家を出るべきだとの声。
これをききたくなかったから食事になんて行きたくなかったのだが本当にめんどくさい。
なので 自分は親との契約で家にいさせてもらっている。何ら恥じることは無い。
家主である親が出ていけというのなら当然出ていく。しかし本来賃貸契約であるなら突然の追い出しには引っ越し費用や引っ越し先の初期費用、数か月分の家賃などを出してもらう必要がある。ただ親族なのでそこまでは求めないが出ていくにせよ半年後などの期間は設けてもらうべきだと伝えると逆に逆上された。
兄妹は自分が家にお金を入れていないと思っているようだったがさほど多い金額ではないものの当時確り親との約束の金額は毎月支払っていた。
そんなこと伝えるのも面倒な話なので伝えなかった。
すると兄妹は 今度母親を自分の家に招待したい。ついては私にいついつに自宅までの介添えをしてほしいと言ってきた。
お茶くらいは出すとのことだ。
無性に腹が立った。当然断った。 すると年老いた母親を一人行かせる気か?
と言ってきたので
冗談じゃない。自分のおべっかのためになんで私が自分の貴重な時間を使わなければならないのか?
母親を誘いたいのはあなたであって私ではない。
誘いたいなら自分で迎えに来ればいい。と伝えて断固として断った。
すると年老いた父親が私に言ってきた言葉に仰天し
同時にもしかしたら日本人てみんな似たような価値観にあるのかと勘ぐってしまった。
その言葉は
人間の時間は皆同じ価値だというのだ。
ビックリした。
大反論した。
人間の時間の価値は皆違う。
一時間千円の人も居れば一時間一万円の人も居る。
例えば朝七時。千葉市に住んでいる人が朝九時に新宿駅で待ち合わせをしていたとする。
その人の三分と、定年を過ぎて仕事も何もなくのんびりしている老人の三分が同じ価値なわけがない。
目的地に時間内で進もうとしている人と何の目的もなくひがなのんびりしている人との価値が同じだなんて
どういう精神構造をした人ならこんなことを言えるのか...
ホントに驚いた。
日本人というのは平等が理解できないという。
平等はみな同じという考え方しかできないのが日本人だとするとその考え方に恐怖する。
価値とは皆違う。だからこそダイバーシティなのだ。
ところが他人の価値が判らない。理解しようとしない日本人が如何に多いか...
違いが判っている人なら道を譲るが日本人の煽り運転の大半は日本人は皆同じという価値観からくる争いだということに気づいていない。
この道は時速〇〇キロだから道を譲らない。
もしかしたらその後ろから走ってきている車には産気づいた奥さんが乗っているかもしれない。
譲ってあげればいいのにいやらしくも譲らなかったりするのだ。
警察に捕まるかもしれない。事故を起こすかもしれない。でもそれは道を譲らない人には関係のないことなのだ。
アドラー流に言えば課題の分離ができていない。
もう小学生からやり直せと思うほどに頭が悪いというのは救いようがないと感じた。
あまりに頑なに自分が介添えはしない。自分の貴重な時間を使う気にはならない。というと
兄妹は渋々諦めて 自分が迎えに来ると私を恨めしそうな目で見ながら言ってきた。
自分は当然のことだと感じたが
しまいには 孝行したくなったときに親は無し なんて捨て台詞まで吐いた。
大丈夫。後悔はその時にします。