こんにちは、maoです。

前回の投稿の最後に次回は陳情令について書くと書いたのですが、先に話したいことがあるので今回も私について書こうと思います。

いい加減ですみません。


これから話すことは、《死について感じる感覚》についてなので暗い内容かもしれませんが、私自身はもう一周回って、なんで?と疑問を抱いている状態なので病んではいません。

長くなるので時間があるとき読んでくだされば嬉しいです。

(そして、この話の一部は数年前とあるサイトに書いたことがあるので、一部はそのままコピーして載せます。)



まず私が違和感を覚えたのは中学生の時でした。ぐったりしていた子猫を友達四人で拾って、友達の家で飼い主が見つかるまで世話をすることになりました。みんなで名前をつけて、動物病院にも連れて行って。だけど当然死んでしまいました。知らせを受けて、友達の家に行くと玄関で友達みんなが泣いていて、私はその光景を見た瞬間、なぜだか、あっやばいなって焦ったのを覚えています。泣かないと、悲しまないと、何か言わないとって。悲しみとかそういうことより、そんなことを感じたのを今でもあの光景と感覚を覚えています。けれど当時は深くは考えていませんでした。


そして、それから数年後、実家で飼っていた猫が死にました。

一番最初に私が発見しました。


(ここからコピーしました。少し感情的になっています。それと身近な死を体験してこなかった、とありますが上記で世話をしていた期間は一週間もなく、世話自体は友達がしていた為、身近な死としてカウントしていないのか、書いてる時は混乱していたのか、昔の自分のことながらよくわかりません。)


二年前に飼っていたペットが死んだ。

最初に見つけたのは母だったか私だったかもうよく覚えてないけど、母の泣き叫びながらペットの名前を呼ぶ声が今でも頭から離れない。

私はその時妙に冷静だった。

泣き叫ぶ母に『とりあえず病院に電話したら』と言った。

私はそのペットが好きだったけど、母みたいに悲しくて涙が出たり死んだペットを触ることが出来なかった。

ペットが死んだ途端、そのペットのことを気持ち悪いと思っていた自分がいた。一緒に病院に行くか、と聞かれたけど私は行かなかった。

私はその年になるまで身近な人や動物などの死を体験してこなかった。

ペットが死んで暫くして、もしかしたら私は家族や友達、大切な人が死んでもただ気持ち悪いとしか思えないのかもしれないと思った。

これは私だけなのか、それとも私はおかしいのか。

飼っていたペットが死んだ途端、気持ち悪くなったなんてこと周りの人たちには言えない。

ペットを焼くとき、仕事を休めなかった母を除いた父、兄、私で見送った。

父の泣いた姿を初めて見た。

滅多に泣かない兄も泣いていた。

私だけ泣けなかったし触れなかった。

父、兄の順でそれぞれペットに最後の別れをした。

私は、泣かないと変に思われるとか私も触らないといけないのかとかそんなことしか考えてなかった。

父も母も兄も、そんな私をどう思ってるのか。

ショックが大きすぎて現実を受け入れられない、とか思ってないかな。

私は自分が普通でも普通じゃなくてもどっちでもいい。

おかしくてもおかしくなくても。

ただ私だけがこんなこと思ってしまうんだったら、それは凄い怖い。

いつかは家族も死んでいくけど、その時自分がどう感じるのか考えると怖い。

ちゃんと悲しめる?泣ける?触れる?気持ち悪いと思わずにいれる?

泣いてる家族を見て、演技なんじゃないかと思う私。

ただ私も悲しくないわけじゃない苦しい

よくわからなくて苦しい。


(コピー終わり。)


今日、こうして数年ぶりに読み返して見ましたが、悲劇の主人公みたいな感覚に陥っているなぁと思いました。

今はただ、私もそう思いたくて思ってるわけではないし、なんでそう思うの?と自分自身に疑問を抱いてる感じです。

そして薄々そうかなと思っていたのですが、私は人や動物が老化したり、弱ったり、怪我したり、死んだりといった状況を、知ったり見たり体験したりするのが気持ち悪いと感じてしまいます。

その対象が気持ち悪く感じるのです。好きだとしても。

猫が今でも好きで、飼いたいと思いますが、こんな私が飼ってしまったら、猫になにかあったとき私はどうもできません。好きなのに、気持ち悪いと感じます。

けれど最初の投稿で書いたように、私は結婚が望み薄なので、きっと一人で生きていくことになります。それは趣味がある私にとって凄く楽しいけれど、少し寂しく怖いです。孤独を感じ、将来に不安を感じます。だからたまに猫を飼いたいなと思いますが、このことから飼えないなと思っています。もし死にそうな猫がいて、命が助かればその時は飼ってもいいんじゃないかと思ってますが、今はまだよくわかりません。

そして簡単に書きますが、私は高齢者に対しても不快感を感じます。高齢者が嫌いというわけではありません。気持ち悪いと感じるのです。誰でも年を重ねれば体は老います。それはわかってますが、その老いが目に見えると気持ち悪く、そして怖く感じます。近寄りたくない見たくない知りたくない。こんな私は最低ですね。けれどもう、そんな私自身に悲観してるわけでも、『そんなことないよ』という言葉が欲しいわけでもなく、ただ最低だなと思います。祖母や祖父もまだ生きていますが、それらの理由とただ面倒だからという理由からここ数年はもう会わないようにしています。面倒というのもまた最低ですね。これまで散々お世話になったのに。祖母や祖母が死んでも私は悲しみより気持ち悪いという感情が沸くと思います。思おうとして思うわけではないです。感情とは自分の意志に関係なく感じるでしょう?私にはどうにもできません。


では、私はおかしいですか?

それとも普通ですか?最低ですか?最初の投稿も含めて、恋愛感情もあやふやで性的感情もなく、さらに飼っているペットの死も気持ち悪いと思ってしまう。


そもそも死ぬことと、会わないことの違いがあまりわかりません。

このことはまた改めて投稿します。

時間がなくて最後走り書きになりました。


拙い文章ですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

同じような方がいたり、私はこう思うということがありましたらコメントくださると嬉しいです。