こんにちは。

桑原通夫です。

 

世界貿易センタービルにアルカイダに

ハイジャックされた民間機が激突・・

あの悲惨なテロ事件から早くも

23年目です。

 

本当に早いものですね・・月日の立つのは。

わたしもまだ40代ということですから

まさに光陰矢の如しです。

 

民間機の中には日本人も24名が

乗っていました。

 

全体で2977名が犠牲になった

史上最悪のテロ事件は

その後どうなっていったのか・・

実行犯の19名のテロリスト・・

アルカイダのメンバーは全員死亡・・

アルカイダは」1989年に生まれた

国際テロ集団・・です。

もともとはソ連のアフガニスタン侵攻の際

抵抗勢力としてジハード〈聖戦)を旗印に

アラブ諸国から参加した義勇兵です。

1989年にソ連軍がアフガンから撤退すると

アフガニスタンで内乱が発生・・

一部のアラブ義勇兵たちによって

結成されたのがアルカイダです。

 

ソ連のアフガニスタン撤退後

そのアルカイダの義勇兵たちにとって

 

次の攻撃目標となったのが

サウジアラビア駐留の米軍

だったのです。

 

アルカイダの幹部らにとっては

ソ連軍の撤退により、戦場を失った

義勇兵たちの処遇は

喫緊の課題だった。

半ばこじつけのような形で

異教徒の軍隊がイスラムの生地を

占領している・・ことに反発し

米軍だけでなく、すべてのアメリカ人が

攻撃の対象・・とエスカレートして

いったのです。

そのアルカイダの最高指導者の

オサマ・ビン・ラディンは

2011年5月2日、パキスタンで

アメリカ特殊部隊によって殺害されたました。

 

アメリカはイラクとの開戦理由として、

イラクが化学兵器や核兵器などの

大量破壊兵器の開発を進めて保有している

ことや、

 

アルカイダとつながっていることを挙げた。

 

イラクはいずれの疑惑も否定し続けた。

アルカイダが隠し持っていたとされた

大量破壊兵器は結局見つからなかった・・

イギリスや日本など一部の国を除き、

イラクへの軍事攻撃に対する慎重論が

上がっていた・・

しかし、アメリカは2003年3月20日、

イラクへの武力攻撃を開始(イラク戦争)。

アメリカ、イギリス、オーストラリア、

ポーランドの4カ国でつくる

有志連合軍は、イラク各地で大規模な

空爆を行った。

当時日本の首相だった小泉純一郎は、

攻撃開始直後に・・

我が国の同盟国である米国をはじめとする

国々によるこの度のイラクに対する

武力行使を支持します・・

と発表。

 

2004年10月には、アメリカの調査団による

最終報告書が議会に提出され・・

イラクには大量破壊兵器は存在せず、

開発計画もなかった・・

と結論づけています。

 

イラク戦争と、戦後のイラク国内の

治安悪化で、

アメリカに対する憎悪はますます膨らんだ。

 

欧米など世界各地でテロ事件を計画・実行する

過激派組織「IS」の誕生へとつながって

いくのです。

 

タリバン政権は2001年の崩壊後は

どうなったのか・・

 

その後もタリバン自体は壊滅しませんでした。

 

中央政府の手の届かない地域で力を蓄え、

武装勢力として

駐留米軍やアフガン政府軍と

約20年にわたって戦うことになります。

 

2021年5月、アメリカ政府が米軍の

フガン撤退を本格化させると、

 

タリバンは各地で

アフガン政府軍を圧倒し支配地域の

拡大を急速に進めた。

 

8月15日に、タリバンは首都カブールを

制圧した。

 

アルカイダは2011年のビンラディン殺害後も

タリバンに忠誠を誓い、

 

両者の深いつながりが指摘されている。

 

一方、2020年にタリバンは

米国と和平合意を結んでいる。

 

そして現在の貿易センタービル跡地は、

「グラウンド・ゼロ」と呼ばれ・・

 

グラウンド・ゼロには現在・・

超高層ビルなども建設され、

 

2棟のタワーが崩壊した事件直後とは

全く異なる表情を見せている・・

ということです。

・・以上WEB記事をまとめてみました。

 

23年の月日の流れはあっという間に

グランド・セロの様相を変えましたが

結局、根本的なものは何も変わらず

紛争が消えることもありません。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。