ポテトコロッケのきまぐれブログ
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メールの書き出し

おはようございます。久々に書いてみます。
私じしん視覚障害を持っていることもあり、同じような仲間が多いのでこんにちはとか時間にあった言葉、仕事の仲間だったらお疲れ間ですで始めて、自分の名前を名乗ることが多いですかね。なんか業務連絡のようなメールが多いんですよね。
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携帯の電池

ラク7に変えてから電池の減りが早いような。
肝心な時に使えないと困るので普段は簡易充電器を持っています。泊まりがけの時は充電器を持っていっています。最近高速バスや新幹線でコンセントを使える車両がでてきているのでとても助かります。
充電器持ち歩く?ブログネタ:充電器持ち歩く? 参加中

私は持ち歩く


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充電器持ち歩く? ・持ち歩く
・持ち歩かない

寝台特急「日本海」・寝台急行「きたぐに」乗車期その3

 乗車期その3です。
 さて、日本海の旅は終わったけれどまだ旅の続きがあって、次の目的である夜行急行「きたぐに」発車までに新潟にいどうしなければいけない。
どうするか考えたけっか、せっかくなのでJR東日本が観ように快速扱いで運転している慣行用列車(ジョイフルトレイン)がいくつかあるが、そのうちのひとつ「リゾートしらかみ」二駅青森方面にいった川部駅から東能代駅まで海沿いをいく五能線を通りさらに羽越線を秋田までいく列車に乗ることにした。
これから乗る「リゾートしらかみ二号」までは一時間ほどあるので、朝食と休憩をかねて一服できそうな所を探すことにした。改札の辺りには椅子などもあありキヨスクなどもあるがせっかくなので駅の外にでてみることにした。
まだ雪は残っていた。携帯のナビでファーストフードで調べてみると「ミスタードーナツ」が近くにありそうだ。どうやらそれらしい臭いもしている。階段を下りて左に行ってミルもだんだん人が少なくなってくる。
そこで元に戻って、右にいってみると立ち食い蕎麦の店やコンビニがあった。さらに進むとどうやらそれらしき店があった。入ってみるとききなれた「ドリカム」の歌が聞こえてきた。
同夏二個とコーヒーを注文して、空席を教えてもらって一休み。隣のテーブルでは常連客らしい人が世間話をされていたが一人の人が席を立ってでていかれた。残った人が「失礼ですが」と私に声をかけてきた。どうやら知り合いに視覚障害の人がおられるらしく、この辺りで見かけることがないので声をかけてくださった。もうすぐ無くなる日本海に乗りに来て、さらにこれから新潟経由で関西に帰る列車に乗るためだけの旅をしていることを話すととても驚いておられた。
列車の時刻を確かめたり、wikipediaで駅の構造などを確かめるために携帯を見ていたりするのもめずらしかったようでdocomoで普通に扱っている製品であることなどを説明したりしていた。そこにまたべつの友人のかたがこられて話に入ってこられた。
8時45分を過ぎたので駅にいこうと席を立とうとすると「これ良かったら」とリンゴを干して作ったお菓子のような物mをくださった。
駅にいく途中のコンビニで暖かいお茶を買おうと入ったが朝のことなのでレジが込んでいてなかなか対応してもらえない。「暖かいお茶はありますか」ときくと「右の棚にあります」といいうことで店の人の手を借りられそうになかったので横の棚をもいると暖かいペットボトルがいくつかあったのでてきとうに一つ取ってレジに並んだ。
駅に戻って今度は京都市内までの切符で入場する。なんと自動改札機が導入されていた。
改札でリゾート白神二号は3番線からでることを確かめてホームにむかった。五能線の列車はおおかた弘前からでていて、wikipediaでは片面の一番ホームが青森方面、五能線が二番ホーム、秋田方面が3番線ということだったのでおかしいなあと思っていたら8時58分に深浦からの五能線の列車が2番線に入線してきた。
そうこうするうちに青森方面からリゾート白神二号が入線してきた。しかし、リゾート白神はキハ40を改造された車両ということだったが、入ってきたときまるで電車のように近づいてきて停車した時もとてもしずかだった。
それもそのはず。昨年から導入されたhbe-300、つまりハイブリット気動車だった。ハイブリット気動車はe200が小海線に導入された時に乗りに行ったことがあたけれど、HBE300は長野の大糸線で走り出したときいきたいと思いながらまだ乗車できていなかった。指定された1号車は最後尾だった。青森からやってきたリゾート白神は進行方向を変えて二駅ほど青森寄りの川辺からまた進行方向を変えて五能線に入っていく。
じつはもういちど五能線の終点東能代で方向を逆転させて奥羽本線を秋田までいっている。
とりあえず座席は進行方向と逆になっていたがまたすぐ進行方向が逆転するのでそのままにしていた。
定刻9時6分に覇者。電車のように動き出して、ある程度スピードがでたらエンジンが始動してそこからはエンジンの力で走っていく。
時々電力供給が足らなくなってくると停車中でも車のバックブザーのようがなった後にエンジンが始動することもあった。
川辺を過てから車内改札があり、車内販売もやってきた。なにか特別なぐっずはないかと尋ねてリゾート白神の携帯ストラップを購入した。
そうこうするうちにこんどは板柳駅の観光宣伝なのかパンフレットを書く座席に配布していた。
海岸線で景色も良いらしく、車窓をカメラに納めている人がけっこういた。
特に景色の良い千畳敷駅など数カ所で説明を入れながら速度を落として運転していた。
リゾートしらかみは乗車証明書を持って指定された観光地にいくと、得点があったり料金が安くなったりするようだ。
五所川原駅では近くに三味線会館という所があって、その入館料も安くなるそうだ。そのピーアールも兼ねて、五所川原から鰺ヶ沢駅までの間に津軽三味線奏者が二人ほど乗り込んできて3号車のサロンで生演奏するということだった。その様子は全号車にスクリーンで映し出されるようになっているけれど、車内探検も兼ねて3号車までいってみた。
2号車から3号車に入った所がサロンになっていて、そこで女性二人の三味線奏者が演奏をしていた。
動く車内で大変だろうなあと思った。
録音に一生懸命になりながら演奏を聴いていると「あいのてをいれてね」みたいなあいづをしてくださったりした。
とこか運転停車をしたりしながら列車は鰺ヶ沢駅に到着。おそらく折り返してリゾートしらかみ1号でも演奏するのだろう。
席に戻りながら2号車を観察すると、この車両だけボックスシートになっていた。
グループで利用するなら2号車を取るといいかもしれない。
1号車と2号車の間にバリアフリー洋用といれがあったのでついでに利用して席に戻った。
車内販売がきたので車内も乾燥しているので冷たい飲み物はと聞いてみたらリンゴジュースがあるということで買って見たけれど、普通の缶ジュースだった。
深浦で対向列車との待ち合わせということで3分ほど止まった。駅限定のものがあるらしく降りていった人がおおかった。それと同じリゾートしらかみ1号とすれ違ったのでこれをカメラに納める人もあった。
リゾートしらかみはキハ40を種車にしたあおげら編成とぶな編成、それに今乗っているあおいけ編成というハイブリットのHB-E300の三編成がある。今すれ違ったのがどの編成だったのだろうか。
東能代で方向が逆転して先ほどにほんかいで走っていた線路を新潟県の柴田まで戻る形になる。
予定通り13時21分秋田駅の3番線到着。
こも駅は2006年の旅でも通っているけれどホームの構造がわからなかった。列車を降りて人の流れを掴もうとしていると、声をかけてくれる人がいて、エレベーターに誘導されて乗り換えツー路にでた。
ここでは普通列車を使うなら1時間20分くらい、特急で新潟までいくつもりなら3時間以上待ち時間があるのだが、どうするか考えていなかった。
とりあえず改札があったので途中下車させてもらった。
どうやらそのまま駅ビルの中に直結したような所にでたらしくいきなりいろいろな店が並びだしている。
お土産屋さんではなくて普通に普段利用している人たちのための店がいっぱいあるようだった。
たまたま声をかけてくれた人が駅ビルの社員の人だったので「食事をとれそうな所はあるか」と聞いてみると「上の階になるので案内しましょう」ということで飲食店のあるフロアーに案内していただいた。
せっかくなので稲庭うどんが食べたいと思って聞いてみると比内地鶏の親子丼と稲庭うどんのセットのある店があるということで案内してくださった。「比内屋」というお店で、親子丼と冷やしうどんのつけ麺と味噌汁のセットで千三百円だっった。
土曜日のせいか遅い昼食の人が多いようなきもするがピークは終わっていてゆっくり食事を取ることができた。
お店の人に改札近くまで送っていただいたけれどまだ時間があるので、改札をでた時に目を付けていた喫茶店でもう一休み。
ホットコーヒーを注文し周りを観察していると、買い物などで町にでてきた常連さんというかんじの人が多かった。
お店の人ものんびりした物で隣のケーキ屋さんの店員さんと話し込んでいて店のお客さんから「お客さんですよ」といわれて店に戻ってきてというかんじだった。
結局経費節約で2時46分発の酒田行普通列車で先に進むことにした。
2時15分を過ぎたので再び入場。JR東日本の主要駅ではといれで「ここはといれです。左からだんしといれ真ん中が多目的といれ・右が女子トイレです」というような誘導サインがでているので大変助かる。次の列車は4番ホームからということで手すりにある点字表示を見ながら階段を下りるとホームニハ列車が入っていたが扉は開いていなかったし人も少なかった。
駅員さんらしい人が声をかけてくれたので聞いてみるとどうやらこの列車らしいけれど車掌もいなくて扉がまだ開かないらしい。
しばらくして人が集まりだして乗り込めそうな様子だったので列車に近づくと扉が開いていて何人かの人が乗り込んでいた。
後ろの方で人が準備しているような音がするので一番後ろの車両で車掌が乗務する列車だなと思った。
6年前に乗った時は七〇一系電車のワンマン運転だった。
そしてしばらくして2時46分発の酒田行き列車であることのアナウンスガ入ったが、それと共に4両編成の列車だがそのうち後ろ2両は羽後本荘で切り離されることがわかった。
時間もあるので、ホームにでて先頭車まで移動した。
先頭車はけっこう混んでいたけれどどうにか座ることはできた。
ここでそんなに珍しいことがあるわけでもないので、2時間少しゆっくり昼寝ができる。
列車は定刻に発車。この時に秋田で一つやり忘れたことにきがついた。それは駅弁のゲットである。
最近は列車利用者が減少して、駅弁も縮小されてきている。この線で駅弁が手に入りそうな場所といえば秋田駅くらいのようである。
だから特急列車の「いなほ」に乗ればという考えもあるが、最近ではJR西日本に限ってではあるが、少し距離の短い列車では車内販売を中止している。
なので「いなほ」もどうなっているかわからない。
普通列車で乗り継いでいった場合夕飯にありつけるかどうかわからない。
普通列車だがいくつかの無人駅を通過しながら大きな駅についた。羽後本荘駅である。
半分くらいのひとが降りていった。
切り離しや反対列車との待ち合わせなどで10分以上の停車だった。
隣には由利高原鉄道(案内放送では鳥海山麓線と案内していた)の気動車が止まっていた。
発車時間に近づくと少し筒乗客も増えてくる。
待ち合わせの列車が遅れているので発車が遅れるとの放送があった。
どうやら「いなほ」が遅れているようだった。2・3分遅れて秋田行の「いなほ」が入ってきた。久々に聞く四八五系のモーター音だった。
列車は回復運転をしながら走っていく。やはり日本海と北国のお名残乗車をする人たちなのかそれともスタートした春の青春18切符の利用者なのか車窓の写真を撮っているひとがいた。運転手も新人研修なのかベテラン運転手さんがここは25キロ原則などとだれかを教えながら走行していた。
定刻に酒田駅到着。
列車をおりると向かい側に新津行普通列車である気動車(キハ110)が入線していた。
ホームに降りたらかなり寒かった。「いなほ」を待つとしても1時間以上ある。
とりあえず新津行車内に入ったけれどそう込んでいるわけでもないので食料調達とお茶をきらしていたのでもう一度ホームにでて跨線橋を渡って1番ホーム上にある改札から外にでて売店のようなところにいってみた。前にこの駅できらきら羽越に乗りたくて2時間以上列車待ちをしたことがあった。あの時は駅も賑やかだと思ったが今回はあまり人がいなかった。
よく考えるとあの時は御盆の帰省ラッシュのユーターンの頃だったからだろう。
売店にいくと当然のことお弁当は売っておらず、おにぎりなども売り切れだった。暖かいお茶を購入してまた改札から跨線橋を越えて列車に戻ることにした。あまりにも寒いのでもう少しいける所まで普通列車でいって、いなほに乗り換えて四八五系の走りを体験することにした。
改札に入った所でどこかで聞いたことのあるメロディーのオカリナの演奏が聞こえて、酒田止まりの鼠ヶ関(ねずがせき)からやってきた列車が入ってきた。
なんのメロディーなのか。
しばらくして酒田市出身の岸洋子が歌っていた「夜明けの歌」の冒頭であることを思い出した。自宅に帰って調べると2007年から列車の到着する際にオカリナ奏者の宗次郎(そうじろう)が演奏している「夜明けの歌」の冒頭部分が流れているんだそうだ。
さっき改札をでる前から買い物をして普通列車に乗るまで駅のひとなのか乗客人なのかわからないがずっとついてきてくれた男性の人がいた。なので気が付かなかったけれどこの駅エレベーターが設置されていたことがわかった。
車内はけっこう満員になっっていたのでロングシートに着席。
そしてどこで乗り換えるかwikipediaでいなほが停車する駅の構造と時刻表を検討しながら、この時間でも駅員がいる鶴岡で乗り換えることにした。
鶴岡から先の駅は委託駅で、5時半を過ぎると駅員がいなくなる。
そして島識ホームと線路を挟んで片面ホームがある2面3線という形の駅が多く、うっかりすると線路を挟んだ向かい側のホームに列車が入るようなことも考えられ、駅員がいて車内販売がなかった時のためにおにぎりでも買えそうな駅ということ、と鶴岡から先が新潟までの自由席特急券が一千三百円になる。秋田から乗りとおすより五百円以上安くなる。
 この普通列車も車掌が乗務していて無人駅での切符の販売と改札を行っていた。途中で、「どこまで行くのか」と聞いてくれた。
鶴岡では1番線に到着。降りた近くに改札があった。
wikipediaでは蕎麦屋とかラーメン屋などもあるらしかったが駅の外にでないといけないようだし、30分しかないのでそこは我慢して改札近くにあったニューデーズにいって夜食になるかもしれないのでおにぎり三つほどを購入。
まだ時間はけっこうあった。車内で買ってもいいけれどここで自由席特急券を発券してもらった。改札業務をしていた駅員さんが切符を売ってくれた。
6時10分頃にホームに入った。ベンチに座っていてもさすが山形県。とても寒い。携帯で確かめてみると1.2度だった。
真冬はもっと寒かったんだろうなあと思う。
いなほの入線アナウンスガあってしばらくすると四八五系が入線してきた。
前3両が自由席ということだったので4号車に乗車。けっこうがらがらだった。
席に着いてすぐ列車は走り出した。なんとも低いモーター音が心地よかった。
そしてすぐに車内販売がやってきた。何種類か弁当も持ってきていたので海鮮ちらし寿司のような物を買った。新潟には8時過ぎに定刻に到着。
ここから北国発車までには3時間近く時間がある。
とりあえずバンダイ口から外に出てみる。携帯のナビで見てみるとファーストフードのような店が数軒近くにあることがわかった。モスバーガーがいちばん近そうだったが、それらしき店がない。
なにやら上り階段があったので上ってみるとまた駅に戻ったようだった。
しばらく歩いて見ると駅を横切るようなかたちで歩いているみたいだった。
途中にビッグカメラへの通路もあったようだった。
どっちが表か裏かわからないけど駅の反対側にでた。
ここは高速バスの乗り場があるのかけっこう大きなバスが出入りしていた。声をかけてくれた人に聞くと目の前にはジュンク堂書店があるようだった。
しばらく歩いてみたけれど店らしいものもなかっったのでもう一度駅に戻った。ビッグカメラの近くで人待ちでもしていたような青年が声をかけてくれたので、この近くで休憩でできそうなファーストフードのような所はないかと聞いてみるとすぐ側にケンタッキーフライドチキンかモスバーガーがあるということだったのでモスバーガーに案内してもらった。
カウンターで閉店は10時までであることを確認し、列車待ちで時間があるので閉店までいても良いか確かめてそこで時間を潰すことにした。
パソコンを持っていっていたのでメールをチェックをしたりしならら過ごした。最後の客がでていったので10時前に店をでた。
そしてしばらく駅をうろうろしていたけれどさすが新潟の中心駅でもあるので、最終列車で帰ろうとする人がけっこういた。
せっかくなので早い目に改札に入って、きたぐにが出発する3番線から出入りする列車を見ることにした。
まだ一一五系が現役で活躍していた。一二七慶派みかけなかった。
きたぐにの自由席に乗ろうとする人がたくさんいるのかと思ったけれどそうでもないように思った。
停車位置がわからないので適当に待っていると10時半過ぎになってきたぐにまもなく入線のアナウンスガあった。
どうやら増結して自由席4両、A寝台1両、グリーン車1両、そしてB寝台6両の12両で運転するということだった。
これだと自由席に乗れていたかもしれない。
10時40分頃12両編成の五八三系が入ってきた。
どうやら前に止まったのはA寝台だった。
6号車に入ると車掌室があるらしくそこで車掌さんに案内してもらって席に着く。そして切符の確認。自由席がいやな人がかってに空いている席に座ったりしないように乗ってくる人の切符の確認をしていた。中にはなんとか寝台は空いていないかという人もいたけれどどうやらこの日は満席だそうだ。僕は4番C席だったので通路側の席となった。
急行のグリーン席なので新幹線のレールスターの指定席よりも断然劣るけれど、それでもグリーン席なのでたぶん生涯の内でそんなに乗ることもないであろうグリーン席の優越感を楽しむことにする。
乗ればくつろぎたい所だが、D席の客がまだやってこないので、入れるようにしておかないといけない。
そうこうするうちに定刻になって列車は発車した。
あいにくモハ車両ではなかったのでモーター音が遠くで聞こえた。
新津や見附(みつけ)長岡などこまめに停車していったがD席の客は現れない。
時刻表を見ながら駅間の長い所でうとうとしながらいつD席の客がやってきてもいいようにきを使いながらの乗車だった。
途中長岡や直江津・糸魚川などで降りる客もいた。直江津や戸山・金沢などでけっこう客が入れ替わっていた。
そして金沢・福井などから大きな荷物を持った若い世代の人が多くなった。
あとでどうしてスーツケースの人が多かったか検討がついた。
大津や京都でこのきたぐにの後続は草津市発の関西空港行きの特急はるかになる。つまり朝に関西空港から海外へ出ようとするときたぐにで大津か京都ではるかに乗り換えると5分ほどの待ち時間でしかも同一ホームで乗り換えが可能だった。
雪も降らずに定刻に走っていた。
彦根や大津では大阪に急ぎたい人も乗車するらしかった。
その逆に新潟方面に向かうきたぐには新快速の米原方面への最終がでた後に大阪を発車していたので長浜や敦賀などへ帰るのもちょうど良かったのだと思う。
本当は大津で降りて普通か新快速に一駅乗れば帰れるのだけれど、せっかくなので京都まで乗ることにした。
京都で降りようとした時車掌さんが先に降りて手を貸してくださった。
こんな二段ステップの車両も無くなっていくんだろうなあと思う。
北国を見送って、2番ホームから発車する湖西線の電車で帰宅した。
おもいがけなく乗ったことのなかった日本海ともう一度乗りたかったきたぐにに乗ることができた。
どうやらどちらも季節列車として運行されるようだが青森行きの日本海の時刻を見てみると大阪を出るのは夜の8時過ぎということで仕事終わりでも乗りやすくなったけれど青森につくのが昼の1時前ということでこれだとあさから観光旅行というわけにはいかず、もしかしたら朝一番の飛行機より到着が遅くなるかもしれない。
きたぐにも自由席とA寝台が無くなって、グリーン車と三段のB寝台だけになるのでこれだと夜行バスより居住性も運賃も夜行バスに劣ってしまう。車両も老朽化してきていることもあるし、急行ちくまのようにきがつけば無くなっているということになってしまうのかなとちょっと残念に思う。
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