創作幸房の徒然ブログ

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日々の暮らしから健康や音楽、ネットビジネスの徒然情報を発信しています:阿蘇外輪山の中から・・・

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阿蘇の自宅で自分用の琵琶の創作などに取り組んでいましたが、熊本地震で琵琶も損傷してしまいました。自宅も家屋は倒壊をまぬかれましたが、宅地が大きく崩壊したため、現在はみなし仮設に住んでいます。宅地の復旧工事が漸く進み始め今年中には阿蘇に帰れる見込みとなってきました。

この3年間活動は滞っていましたが、何もしていなかったわけではなく壊れた琵琶の修理と大きく壊れた部分は思い切ってシタール風に改造しました。また洋楽を演奏しているので1オクターブは半音で12柱とする大改造を行っています。詳しくは別途報告しますがとりあえず現状のお知らせとブログも復活させたいと考えましたので写真をアップロードしておきます。今から準備に入って阿蘇からは動画もなども発信できればいいなと思っています。力が入りすぎない範囲で前に進んでいきたいと考えています。

自分用の創作モデルを3本製作していますのでその写真をアップロードします。
筑前琵琶の改造型が2本と三味線改造型が1本です。

初めに作成したタイプです。海老尾・糸蔵・糸口の部分がギターヘッドを参考に琵琶の本来の形をとりいれて作ったタイプです。柱を琵琶オリジナルの5柱から8柱まで増やしてます。
また琵琶本来の弦を押さえて音程に高低(ビブラート)をかける奏法をし易くするため、追加の柱の幅をほぼ半分に抑えてあります。
1: 4弦ー8柱ーオリジナルヘッド1になります

1号機


次にヘッドの形をほとんどギターのノウハウで作成したタイプです。また追加した柱は本来の5柱のものと変わらない幅にして8柱全てがほぼ同じ幅に揃えてあります。
2: 4弦ー8柱ーオリジナルヘッド2になります。

2号機

こちらは発想を変えて、三味線から改造しました。さらに演奏性を高めるためにオクターブに12柱(合計で16柱)に増やしてあります。オクターブ内ではギターと同じフレット数になっています。8柱に加えて増やした柱部分は2mm程度の幅にせまくしてあります。
3: 3弦ー12(16)柱ーオリジナルヘッド3となります。

3号機

次回は各々の特徴などをもう少し詳しくご紹介します。


自宅の2Fには楽器で音だしが出来る空間を作ってあります。

32chミキサを確保する場所がなかったので、CASIOのAP400の収納を兼ねて、グランドピアノ風にピアノ卓?を製作しました。2X4のパイン材と18mm厚の集積材のみでいつぞやのゴールデンウィークに集中して作り上げました。材料よりもサンダーやトリマーなど電動工具の方が高くついたかもしれません。

右横上面から
これぐらいの大きさの写真なら天板を開けなければ小型グランドと見間違えません?
三本脚や3本ペダルもそれらしく再現してみました・・・

右斜め前から
天板を開けておくと電子楽器に興味のない人にはほとんど意味不明かも・・・

キーボード側から
キーボード側からです。22インチのデイスプレイにキーボード?にマウス・・・
2台にみえるPowerMacは実は1台・・・ではなくて左側は内部にATXマザーを仕込んだWindowsマシーン(これはちょっとした力作なので別の機会に)です。
怪しげにブルーに輝いているのはLED付き冷却ファンです。
ちなみにMacの方もファンの音が大きかったので静音のグリーンLED付きのファンに取り換えてあります。
木工で工夫したのは天板の開閉の仕掛けと三本脚の取り付け強度(60Kgの自分が上に立って移動可能)です。またペダル部分はピアノのように吊下げ方式で下は床についていません。
映像ケーブルや電源ケーブルも内部からアクセスできます。
AP400はキーボード部と基盤部分は切り離して組み込んでいます。側板はなかなか良い方法が浮かばなかったので強引に幅を合わせて取りつけてあります。

近くにおいでの際はお立ち寄りください。

(季節が良ければフレッシュハーブティーをお出しできると思います・・・)


昨日はBCP(事業継続計画)についてお話ししましたが、これは企業が事故や災害に合った場合、少しでも早く復旧して業務を継続する方法です。
企業の防災対策の核になる四つの内の一つです。

安全危機管理の中には予備やバックアップにより、最悪の事態を招かないように想定内に留めるように備える考えがあります。

稲岡の資料では信頼性設計の大切な三つの手法の内の一つ、フォルトトレランスの手法がこれに相当します。

よく引き合いに出されるのが航空機の安全システムです。例えば方向舵や補助翼などの油圧系は必ず予備の系統があり、一つが壊れても問題なく動作できるようになっています。

一つの原因だけでは全ての系統が止まってしまわないような設計がされています。

福島の例では津波による浸水という一つの原因で、同じ建屋の地下に集められていた非常用電源は全てが機能を奪われてしまいました
これは信頼性設計の考え方からも外れていたことになります。水に対しては地下だけでなく、高さの異なる場所に設置する対応が必要になります。

視点を変えてみますが、フォルトトレランスが徹底している航空機でも事故は起きています。日航のジャンボ機の墜落事故はなぜ起きたのでしょうか?

あの時ジャンボ機は姿勢制御に使う全ての油圧系統を失っていました。
油圧系は2重3重の備えがあるのですが、唯一例外がありました。最後尾の圧力隔壁の外側の個所に該当する油圧系の制御部が集まっていたのです。
通常は前にだけ飛行する必要から多くの障害を考えても外的要因からは後尾が安全と考えられます。

しかし墜落したジャンボ機はそれ以前に着陸時に角度がつき過ぎ、尾翼後部(最後部)が滑走路に尻もち状態になって接触する事故を起こしていたのです。事故は重傷で廃機も検討に入れられたはずです。ここには別の問題がありますが今日はとりあげません。

機体は非常に高価なことから、当時アメリカのボーイング本社から修理技術者が来日して。修理にあたりました。

尻もちをついたことで後部が変形しその内部にある圧力隔壁が損傷していたのです。
圧力隔壁は高い高度を飛ぶ航空機が客室内の気圧を守るために機密室になっている、その最後尾の蓋にあたる重要な部分です。

この圧力壁には高い高度に達すると客室側から大きな圧力がかかります。
実は専門家を呼ばなければならないほど、この圧力隔壁の修理は強度を保つための厳密な修理が必要になっていたのです。

日航側からの強い要請で、修理は行われたのですが、この修理に人的ミスが発生していたのです。
隔壁は多くの板を継ぎ足して構成されていますが全ての結合部が2重に重なった部分にリベット締めの必要があったのに対し、何か所かでオーバーラップが少なく、リベットが十分に効いていない状態が発生していました。

この修理での人的ミスが引き金となり、飛行を続けるうちに1重にしか止まっていない部分の近くを中心に疲労が進み、飛行中に圧力隔壁が客室内の圧力で爆発的に壊れ、その直後にあった姿勢を制御する油圧系がほとんど失われてしまったのです。

リスク分散の備えが想定外になると事故の結果は重大な物になってしまいます。

航空機では圧力隔壁の飛行中の破壊は想定外です。同じように福島の地下にあった非常電源も浸水は想定外でした。

子供が巻き込まれる事故も含めて「起こしてはならない事故」には想定外を簡単には作らない覚悟と決意と実行(結果)が欠かせません

BCPってご存知ですか?

コンピューター用語だと思われると Binary Code Process? いえいえ

実は Business Continuity Plan(事業継続計画/対策)です。

タイでの水害による車やHDDの部品供給の問題がクローズアップされましたし、東日本大震災でも某社の車載用のマイコンが供給できなくなり、同じような企業防災の問題に出くわしました。

子供の命を守るため、安全危機管理でアンテナを張り巡らせていると現代社会が抱えている様々なリスクの問題にぶつかってしまいます。

年末年始で取り上げた福島原発の非常用を含む全電源喪失事故にみられるリスクマネージメントの崩壊・・・
最近では危機意識の薄れてしまった除染作業の管理に係わる問題・・・

などなど取り上げるときりがありません。

もしこのブログの読者が危機管理に関係することになったら、
多くの方から賛同いただいている言葉をお伝えしたいと思います。

それは重大事故のリスクを下げたかったら、ミスは起きると考えて備えることです。
ミスを絶対起こさないと考えていると意外なもろさに直面することがあります。

例えば通常の学校行事中には危険な場所で、保護のいる子供を一人にして見失うようなミスは考えられません。

しかし絶対見失わないことに集中し過ぎていると、どんな人間でも「一つのミスがきっかけで次のミスを呼ぶ連鎖を生んで大事に至る」ことを身を持って知らされる結果になりました。

福島でも原発では絶対全ての電源を失ってはならないとの思いから、絶対起こしてはならないことは起きることを想定する必要がないと次第に危機管理から外れて行く道をたどってしまいました。

東南海地震が懸念されています。平和な暮らしに安閑としないで日々の暮らしの中に危機管理の考えを忘れないようにして備えたいと思います。

だれかが警鐘の金を鳴らさないと人は忘れがちになってしまいます。

自分には起こるはずがないとの考えも根拠はありません。

ご一緒に備えて保護のいる人を守れる範囲で実行しましょう。

でも甚大な被害の時は先ず自分の安全を確保することが原則です・・・
(あなたが復興や次に控える救助を担うことになるかもしれません)

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体験した学校行事中の事故から学んで「子供を守るサイト」を立ち上げています:
信頼性設計を組織に応用して子供を守る考え方
のセミナー資料を公開しています。
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演奏の前に?何回かに分けて自分モデルの琵琶をご紹介したいと思います。

今日は第一回です:
ギターならギターヘッドとペグの部分、琵琶では海老尾・糸蔵・糸口と糸巻きに相当する部分を写真を交えて説明します。(カメラは未熟なのでお許しください)

筑前琵琶糸蔵と糸巻き1
筑前琵琶の海老尾・糸蔵と糸巻きをうしろから見たところ:

仕組みは三味線などと同じです。げんの数が4本になってはいますが・・・

筑前琵琶糸蔵と糸巻き2
同じく左斜め前から見たところ:

糸口(ギターならナット)の部分で弦が90度向きを変えているのが解ると思います。

さて次が自分モデルです。琵琶や三腺・三味線の糸巻きは摩擦で固定されるだけです。滑らないのでかえって微妙な緩みはないのですが、弦が生糸なので温度などで微妙に変化します。

そこで思いきってギターペグ(ギターの弦巻きです)を使うことにしました。実は筑前琵琶は持ち運びがし易いように海老尾・糸蔵・糸口の部分がすっぽり外れます。

携帯用に小さくたためる訳です。これは弦を90度向きを変えてテンションをあげるとチューニングも安定するなどメリットがあり、それなりにまとまった仕組みだと思われます。

ここでは「えいっ」と覚悟をきめ、弦のテンションはギターなどとほぼ同じ5度程度にし、ギターヘッドのように固定式としました。またギターペグを使うことで微調整が容易になります。

なかば実験しながら仕様を決めていく手法です。

久木野琵琶糸蔵と糸巻き1
新たに設計してつくった海老尾・糸蔵・糸口に相当する部分を後ろから見たところ:

久木野琵琶糸蔵と糸巻き2
同じく左斜め前から見たところ:

海老尾・糸蔵をギターヘッドのような形状にして花梨のむくから削り出しました。固定は木ねじを使用しています。また糸巻きは左右3連タイプから4個使用しています。
これでなんと持ち運びにはギターケースが使えるようになりました。分解する必要がないので、弦の巻きいてある部分も安定します。

自分モデルの特徴の一つとしてギターヘッドとペグのように海老尾・糸蔵・糸口と糸巻きの部分を新しく設計して作りなおしてしまいました。ギター弾きとしては手慣れたペグとヘッド周りと同じなのでチューニングは楽になり、演奏に集中しやすいメリットがあります。

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年末年始とつい無くなった子供のことが浮かんで、硬い調子の書き込みが続いてしまいました。

今日はちょっと一息入れたいと思います(この考えがそもそも硬い・・・)

九州阿蘇に引っ越してきてもう10年以上になります。

昨年1月の楽器のある暮らしの1回目の背景説明を綴りたいと思います。

どうしても音楽や楽器に興味が行ってしまうのですが、九州には失われつつある日本の楽器「琵琶」があります。

福岡に筑前琵琶、鹿児島には薩摩琵琶です。

3年前にオークションで壊れた筑前琵琶を手に入れたことから、つい虫が騒いで再生に取り組んだのがきっかけです。

いまでは修理や改造を手掛けることができるようになりました(本人の申告ですが)。

琵琶は古典に興味があったのではなく、シタールなどにも通じるあの独特の音色に惹かれてしまいました。

こんなところでも物理屋の悲しさ、音階を決める柱(ギターならフレット)の位置が実測では分数の良いところ(純正律の音階)に治まらない所があると気付きました。

もうすっかり慣れてきた「まぁーいいが」とも行かなくて、純正律にも乗っていないようなので思いきって自分タイプを作成することにしました。(楽器のある暮らしの書き込みも見てください)

演奏時間ではなく、昔から触れているということではインドのシタールはもう35年ほど身近に見ているので、さわりや音階や材料選びで参考にしました。

そんなわけで自分モデル(勝手に久木野琵琶と名付けています)はどちらかというとシタールと琵琶の中間型です。

もう1年以上前から演奏をはじめていますが、録音もして近いうち?にYouTubeにも投稿するつもりです。もちろん普通に西洋音楽に溶け込んだ(融合した?)演奏にするつもりです。

心配しながら?お待ちいただければ幸いです・・・

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無くなった子供が音楽が好きだったので、学校の放課後教室での演奏サポートなどもしています。

体験した学校行事中の事故の事例から下のサイトを運営しています・・・
学校行事中の重大事故から子供を守る考え方
について紹介しています。こどもを守る輪を広げるためお立ち寄りいただければ幸いです。

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人的ミスの連鎖からおきる重大事故から子供を守るため、過去と進行中の事故・事例から学んでいます。

体験した学校行事中の事故の事例から以下のサイトも別に立ち上げています。
信頼性設計を組織に応用して子供を守る考え方
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また福島の原発事故に学んでいますが、復興や事故の処理に携わる方や作業を悲観したり、中傷・批判するものではありません。学んだことを子供を守るために使用させていただくことにご了解いただけましたら幸いです。
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今日は「徒然日記」で福島第一原発の事故を学んで、気づいた思いをつづりたいと思います。

私自身「子供の命を守る」動機からに福島の事故を通して現実の原子力の利用を学んでみると、今更ながらひとが核分裂や核融合を制御できているとは言えないと感じました。

その中でも特に原子力発電に関していくつか強く疑問に思ったことがあります。

ひとつは使用済み燃料棒の最終処理技術が確定していないことです。

現在の科学力では放射線の影響を避ける(封じ込める)技術は非常に限られています。

だからこそ原子力発電から安全な「ひとが制御できる発電方法」に置き換えていくことは必然だと考えています。

ただ自己矛盾に陥ってしまうことがあります。安全に科学技術で原子力発電所を廃炉していくには条件があると理解しています。

今の科学技術は理論と実験・実践で成り立っています。原子炉を安全に廃炉することも使用済み燃料を安全に処理することも
実験用の原子力発電所を含む最低限の原子力発電設備を維持しないと作業は進まないと考えられているからです。

いきなりのゼロは廃炉に向けての作業にも大きな影響があると考えられます。
最終処理を先送りしてスタートした原子力発電はストップするにも慎重な段階が必要になると考えられるからです。(始めてしまった事を見直す必要があると感じます。)

燃料棒の処理すら先送りされているのに加えて、人里を含む山や川に広範囲に拡散された放射性物質の集約とそれを取り除くことはその方法と最終処理を同時に確立しながら進める作業になります。(丁寧で忍耐強い作業が要求されるのは明白です)

それでも冷静になることにしていまの原子力発電所の抱える問題を整理してみます。

現在は大きく二つの考えで対処しようとしていると理解しています。

1.現在の科学では消したり、減じたりすることができないことから再利用を可能にし、さらに効率を上げることで使用量を増やさないサイクルを作る方法。

2.自然に影響が無くなるまで何十万年規模で、人の生活に触れない範囲に隔離する方法。
(北欧などでは頑強な岩盤に1km程度の地下深くに隔離設備を設けています)

核燃料サイクルがうまく回せないまま、使用済み燃料棒が青森の処理施設と各原子力発電所の貯蔵プールに増え続けている現状です。

処理技術を開発しながら、実際の処理を先送りしながら日本の原発は走り続けていることになります。それも限界に近付いていることが今回の事故をきっかけに知ることができました。
(子を持つ保護者の一人として私自身もっと以前から深刻に理解しておく必要があったと反省しています)

目の前の手の届くところにいる子供を守ることとに加えて、日本に、いえ地球にいきる子供達を守るためには科学・技術だけでなく政治の力をかりた地域、日本、世界のそれどれのレベルでの安全な原子力の制御を進める必要があります。
とりわけ原子力発電所を考えてみると今回の事故のように放射線を出す物質が広範囲にまき散らされた場合は効率のよい有効な手立ては今のところ見つかっていません。
(福島周辺の作業を悲観しているわけではありません。)
理由は放射線そのものを減じるまたは半減期を早めるなどの技術は確立していない(現在はない)からです。

だからこそ、「原子力発電をひとが制御可能な発電システムへと転換していくことが急務」だと考えています。

ミスは起きると考えて子供を守ることに身近なことから取り組んではいますが、身近にあってひとの力では手の届かない部分がある原発事故にどう備えるべきか?頭をかかえながら取り組むべきことを探す日々です。



子供を守るため、昨年暮れから書き綴っている福島第一の原発事故に至った(学ぶべき)要因を列記してみました:

学ぶべきことは多肢にわたっていますが、原子炉溶解の重大事故にいたった要因をここでは全電源喪失に関することに絞っています。

以下は厳密な意味での原因結果分析ではありませんが、この一週間の内容を整理してみると一つの原因-結果系が浮かび上がってきます。

原因系:
■「この原発に万が一はない」「日本では全電源を喪失する事態は想定する必要はない」などの過信が蔓延していたこと

■検証は悲惨な結果を生む放射能漏れを絶対に起こさないことに集中して、放射能漏れが起きた場合の想定はほとんど実施されていなかったこと

■福島にも10mを超える津波が押し寄せる可能性があるとの内部報告を生かせなかったこと。(最近では1100年前にの貞観地震のときには今回と同じように内陸部に津波が押し寄せた痕跡が見つかっています)
  
結果系:
■絶対に喪失してはならない全ての電源、外部に止まらず非常用電源さえ全てを失ってしまったこと。

■海岸線に近いのに全ての非常用電源が地下に集められていたこと

■非常用電源は耐震性が大きく、機密性の高い原子炉建屋ではなく、一般的な構造の発電建屋に設置されていたこと

重大な事故も想定外の災害も発生していない」年月を重ねるうちに、人間にありがちな過信と勘違いが例外なく組織を蝕んでいたようです。
想定外の規模の議論が熟さないまま、本来の安全危機管理のリスク分散の考えから外れてしまっていたことが大きな要因と言えると思います。

リスクマネージメントが十分ではない、安全危機管理が危険なレベルに落ちていた時に1000年に一度の大災害が襲ってきたと捉えることができます。

日本一高いレベルで維持されるべき、原発の安全危機管理においても判断を含む人的ミスは例外ではないことを如実に物語っていると思います。

ありえないことが原発の組織で起こっていたわけですから、学校やPTAや地域の組織で同じように安全危機管理がおろそかになっていないでしょうか?

特に学校やPTA組織が存続や維持自体が目的となって、変化や新しい環境への適合で対応に大きな遅れを取っていることはありませんか?

伝統の維持は素晴らしい文化ですが、変化を嫌がる/恐れる感覚を失わないよう十分に感度を上げておくことが大切だと考えています。

今を生きる子供達を守るために基本から見直すための良い機会だと捉えるべきだと考えています。

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このブログでは子供の命を守るため、過去と今進行中の事例から学んでいます。
創作幸房は
学校行事中の重大事故から子供を守るセミナー資料室
を別に立ち上げています。

ご一緒に子供を守る輪を広げていただければ幸いです。


学校に子供を送り出したらほっとします。
学校は安全なはずだから・・・

(別に立ち上げたサイトで上記を公開しています。お立ち寄りください)

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未来ある子供を守るために福島第一原発の事故に学びます・・・

全電源の喪失は日本では考えられない

したがって非常用電源まで含めたすべての電源が喪失する事態は想定する必要はない

これは自らもっとも起こしたくない事故に対する備えを放棄する考え方です。

なぜ世界最高レベルを自負する日本の原発でこのような指針がまかり通っていたのでしょう。

政府と東京電力や原子力保安委員会まで含めて、メンバーは原子力を安全に推進する立場だけになっていたからです。
すでに世界最高水準に達しているという自負と自信が安全危機管理から遠ざかる方向へ向かってしまったのです。
絶対に起こしたくない危険を管理しながら、いつのまにか絶対起こるはずの無い事態は想定する必要がないと勘違いをしていることに気づかない組織に陥っていたと言わざるを得ない状況だったと思われます。
事故が全く起きていなかった状態に惑わされ、安全よりコストダウンや合理化に偏っていることに気がつかないまま改善に取り組んでいたことになります。

なれあいと揶揄される事態は全電源の喪失を想定しないことを認める理由を安全管理側が当事者の東京電力に求めていたことが象徴していると思います。
日本が誇った品質管理では作る側の設計と品質の管理側は相対する立場から製品を検査し、使い手の満足と安全を確保して出荷していたはずです。
ましてや安全管理では異なる立場での毅然としたチェック体制が維持される必要があったはずです。
あんなにも見事に合理的に原子力を進めるために理論武装していると、だれも基本的な事項は外部からは指摘すらできない状況に陥っていたと言われても反論は出来ないと思います。

子供を守るためには時に担任や専門職でもあえてそれがほんとうに子供を守るためになっているのか?つねに問いただす姿勢が欠かせないことをこの福島の事故から学ぶことができると思います。