コウモリという人がいる。
学生の頃に、「コウモリ」と呼ばれていたのは、
私の時代だけなのかはしらない。
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誰しも、嫌いな人は一人はいるのではなかろうか。
私には今まで、嫌いな人は数多く存在し、
またその数も、交友関係、社会的立場で、知人の母数が多くなると共に、増えていく。
自分のプライドを傷つけられたり、
社会的地位を下げられたり、
実害として危害があったり、
そういう者が私の嫌いな人、と分類される。
だが、そうやって「嫌いな人」認定に至ったのは、なぜなのか。
世渡りが上手い人がいる。
八方美人と影で言われ毛嫌いされるならまだしも、
誰も気づかず、信頼を得て、純粋に良い人間関係を結べる人はとても恐ろしい。
こういった者を私はいまだに「コウモリ」と呼んでいる。
大体において、コウモリは噂話が大好きである。
コウモリは、初めは私に好意的である。
信頼した私は、コウモリに愚痴をこぼすようになる。
しかしコウモリは、その愚痴に脚色を加え、悪口という形で第三者に伝える。
そうして私は、悪口をいう人だと思わせ、第三者からの信頼を失うわけである。
コウモリはだいたいにおいて、
イジメの発端である。
ニュースでは、
「学校がいじめを認めた」とか、そんな話をよく見かける。
実際にいじめをしたのは、コウモリが話を伝えた第三者の可能性が大いにある。
いじめを受けた者は、第三者が嫌いになり、もちろん畏怖を覚える。
第三者も、いじめをしている相手が嫌いだったり、バカにしたりする。
その真ん中には、常にコウモリがいると私は思っている。
ニュースで認められた、いじめをした者、の中にコウモリは入っているのだろうか。
私は知らない。
社会に出て知った。
残念ながらコウモリは学校にだけ存在する人種ではない。
会社や、地域のコミュニティ、様々な社会の中に数多く存在する。
もしかしたら私は、第三者だけではなく、
コウモリを最も軽蔑視したほうがいいのではないか、と思ったりする。
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これは私の性分や、親の影響も強いかもしれないが、
人を疑ってかかるよりも、近づいてくれた人を信頼してしまう。
そうして、コウモリに騙される。
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コウモリへの対策は、
人を簡単に信用しないこと。
誰も皆、最終的には自分がかわいいのだ。
私の美徳において、人を信じることをやめるなど、
辛いことでしかない。
だが、これしか解決策は今の所見つかっていない。
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広く浅く、そうやって生きていくしかない社会が、日本には根深い。
海外に住んでいたことがある。
その頃、母は日本人の集いにおいて、いじめの対象とされていた。
母はそれに滅入っていたと、幼心にも理解していたと思っている。
結局母は、現地の人々との繋がりを濃くしていった。
日本人ではないから、寛容だ、とは言い難いけれども、
会うたびに抱き合って頬にキスして、それが挨拶である社会とは、全く違うものだと思っている。
私はまだ、その世界にいるのかもしれない。
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土日には、自分の好きな人としか交流しない。
月曜からは、会社に行くことから、
またコウモリがたくさんいる社会へ出なければならない。
コウモリたちは、人を下げ、自分を上げることに精を出す。
自分と、自分の嫌いな人の間には
コウモリの存在があること。
それは今まで生きてきた中の、一つの気付きである。