デジタルデザインについて自分の考えること

私のこれまでのデザインとの関わりは浅く、この学校に来るまでは主にアナログの絵画を中心に絵を描いてきました。私は小さい頃から絵を描くことが好きで、将来は絵に関わる仕事に就きたいと考えていました。

一時はデザインにも興味がありましたが、絵画の魅力に惹かれてからはかたくなにアナログ一筋でした。時間をかけて大きな号数の作品を仕上げると、他では味わえない喜びと達成感がある反面、それは悪く言えばただの自己満足に過ぎず、作品自体は単体であるし今後の発展性がないことには気づいていました。それでもただもくもくと描き続け中身のない達成感を積み重ねていっていました。

そんな中、このままただ絵画を描き続けていった将来を見据えたとき、そこには具体性に欠ける将来と不安とがありました。
一時は興味があったこともあり、思い切ってデザインの分野への切り替えができたことは、今現在あとを振り返って見ても私にとってはとてもプラスになっているし、将来への不安が消え、具体性あるものが見えてきていることが何よりプラスに向いている証拠だと感じています。

デザインでは基本にあたる、イラストレーターやフォトショップといったソフトに触れるのはもちろん初めてで、作品づくりは苦難の連続でした。しかし、慣れてくると不思議なもので初めは一苦労だったパス引きも今では楽しいとさえ感じるようになりました。また、作品数を重ねるごとに作業はデジタルであっても、細部への気配りやクオリティを高めるための根気のいる細かい作業はアナログと変わらないと思いました。アナログの作業ではデジタルのように「ひとつ前の段階に戻る」なんて便利なことはありえないので、今までのアナログで培ってきた一発勝負の集中力が、デジタルの根気のいる作業の集中力へと生かされている気がします。

現在制作を進めているBPCの企画は苦難の連続で、なかなか先に進まない時は自分はデザインがやりたいのにと思うことが多々ありました。しかし、大きな山をひとつ乗り越えた今では、ただデザインをやっているだけでは身に付かないことがたくさん身に付き、私の中で財産となっています。今までの授業でも学んできましたが、このBPCを通してデザインは企画ありきで成り立っているということが本当によくわかった気がします。まだ気づいてないことや、自分の中でのデザインの在り方などあやふやな部分がたくさんありますが、このBPCを乗り切ったとき、本当の意味での達成感が得られると思います。その達成感をより確かなものにするため、最後までベストを尽くしていきたいです。

いろいろな授業で多くのソフト、作品に触れ、一言デザインと言ってもたくさんの種類方向性があることがわかってきました。しかし、私はまだデザインでこれからどのような分野に進んで行こうかはっきりと定まっていません。もう方向性を定めて、自分のやりたいことへ向かって行く時期に来ています。興味のあることとしては、グラフィックや平面デザインがあります。ただこれだけではこれからの就職が難しいのでもっと勉強と努力を積み重ねていきたいです。(1267)
■僕自身の中にあるデジタルデザイン論
G06001 加藤勇樹

僕自身が考える今後のデジタルデザインの進む道として、「情報の整備」「わかりやすさ」「扱いやすさ」という言葉が似合っているんじゃないかなと思う。

情報社会と呼ばれる昨今、僕たちはいろいろな分野から得られる情報の量が非常に増えている。特に「デジタル」と言う新しい分野から得られる情報の量が顕著である。
これは、今まで知り得なかった事がいとも簡単に手に入れられる事ができるようになったってことになる。そのおかげで今まで以上に知識の量が増えて、自分への富を増やせるようになった。

でも、まだ情報社会と呼ばれるにはほど遠いと思うとこともある。

情報の整備の遅れと情報格差。

情報を得られる媒体が今までより沢山増えて入るのだが、「使い方が分からない」「わかりづらい」などまだ情報の整備が遅れているのが現状であり、それが原因で本当に欲しい情報が得られない・・・「情報格差」と言う問題が出てきている。

僕自身も、情報を取得する媒体がうまくつかいこなせなくて人より不利になる状態になってしまうことがあるし、もし情報を取得したとしても情報自身が意味不明で「これわかりにくいなぁ」と思ってしまう事もある。
これは情報の量が増えすぎて逆に必要な情報が得られなくなっている「情報格差」問題に直面しているのだと思う。

デジタルを扱うデザイナーは、その情報の乱立で発生している問題を消してくのが使命だと思うが、デザイナー自身がその整備から目を背けていると思う。
その目を背けるデザイナーが造るものと言えば「カッコいい」「かわいい」などのビジュアル重視なデザインになっているのが僕の分かる範囲での現在のデジタルのデザインであると思う。


確かに「カッコいい」「かわいい」などのビジュアルデザインも重要だ。でもそれは、目的を達成する上での最後の過程に置いておかないといけない。
本当のデザインは、相手が求める目的・相手に優しいモノ・・・要するに目的の根幹の部分をしっかりする事だ。その最後に、ビジュアルがひっついてくるのだと思う。


目的なくしてモノはなりたたない・・・

今後のデザイナーはこの上記の言葉考えてデザインをしていかないといけないと思うし、僕自身も肝に銘じていかない目標だ。

(940文字)
デジタルを含んだ映画

自分が考えるデジタルデザイン論
G06007

 僕は映画やPVを見るのが昔からとても好きで、ジャンルは幅広く、特にCG、3Dを絡ませた映像が好きだった。しかし、その映像を作るといった工程には
ほとほと興味がなくいつも「見るだけ」。いわゆる一般ユーザーだった。
 この学科に入って、CGやデジタルムービーを勉強していくうちに、デジタルを絡ませた映画やムービーも一種のデジタルデザインであるという事を知り、
普通の大学に行っていたら知る事のなかったような制作に関する情報を知り、それと同時にデジタルを使ったムービーをたくさん作りたいとも思ってきた。

 今さらだが、現在世間で販売、レンタル、放映されている映画はほとんどデジタル絡ませたものになっている。特に洋画に関しては新しくロードショーされ
る7割~8割がそれだと僕は思う。もはやデジタルを一切使わないムービーを作る事が逆に難しくなってきているのではないだろうか。デジタルを絡ませる事
により、通常ではあり得ることのない表現ができ、ユーザーには迫力感、新鮮感を与える事ができる。そしてうまくユーザーの心を掴んだのであれば、その
ムービーはたちまち世間に広がり大ヒットを生む。。最近の映画では「パイレーツオブカリビアン」がいい例だと思う。
 このデジタル映像を使った発端は「Back to the future」だと僕は思っている。ネット内での過去レビューを検索すると必ず星5といった好評価を得て、80年代の作品では驚異の作品だったに違いない。ここからデジタルを使った映画が広がっていったのだ。

 逆に邦画に関してはデジタルを絡ませた作品は少ない。邦画に限らずアジア圏で少ない。それは、アジアの映画はSF、アクションなどの迫力、圧倒感で作品を作るのでなく、情緒的、ユーザーの心に直接訴える、アートチックな映像を得意とするからだ。韓国、中国は少なからず予算的な問題もあるかもしれないが、アジア圏の作るデジタル映像はアニメを除いて正直あまり大した事はないと思う。だから、邦画でヒットしたデジタル映像は本当に少ないのではないだろうか。あったとしても一発屋が多くて、一時は世に波乱を起こすかもしれないが、それは長続きしないし、間違っても続編などは出ない。

 
 僕はデジタル映像を使う作品というのは一種の賭けであると思っている。それを使うタイミング次第でその映画のランクは上がったり下がったりする。いくらCGや3Dを多く使っていても訳のわからない所で使っているのであれば違和感が出て最悪になるし、逆にそういう場面があまりないが、絶妙な場所で使っているのであれば最高だ。よい映画を作ろうとしたら、例え脚本が素晴らしいものでも、アーティストがすごい技術を持っていてもその監督次第で悪くもなる。逆もまた然りだ。デジタル映像を使うタイミングを間違えたのなら、その作品はもうおしゃんである。

 結局デジタル映像で何が大事かというとそれは「違和感のなさ」なのである。デジタルを使った非現実的な光景をどのようにしてリアリティのある様に見せるか。そこに尽きるのである。だから「初監督の~」など某芸人などの作ったデジタルを絡ませた作品はつまらないのだ。

 僕は将来、映画関係の仕事にも就きたいと思っているが、ユーザーに素晴らしいと思ってもらえるような作品を作りたい。 (1378)