今時はお葬式も宗教者をお呼びしない事が増えているようですが、

従来ですと、神道の家や他の宗教の家は別として、江戸時代の寺請け制度から先祖代々の墓が菩提寺にあるので、身内が無くなれば葬儀では僧侶(お坊さん)に故人に戒名をつけてもらい、お経をあげてもらうのが当然のようでした。

 

現代では跡継ぎの人も特にその宗教の教義を学び理解し信仰しているからそうする訳でなく、

ただ親戚の手前、慣習に従わないとややこしい事になるとか、

先祖代々、あるいは親が用意したお墓が寺院墓地にあって、わざわざ別に用意するのも離檀料やら請求されたり、墓じまいや移転にも金銭的負担が大きいので、前例踏襲して仏式で葬式をしているといった具合。

 

また、戒名代が高額だという噂から、お坊さんと葬儀の相談時に

「うちは戒名なんか要らないから安くしてくれませんか」と言う人も現れました。

 

しかし、実は、仏教の開祖であるお釈迦様は、出家信者が葬儀の導師(葬儀を執行する僧)になることを禁じていました。修行に専念させるためにです。

ですから、お釈迦様の葬式も在家信者が執り行い、弟子たちはそれに参加する形でした。

 

日本で仏式葬儀が広まったのは鎌倉時代以降のことで、禅宗や真言律宗などの僧が積極的に庶民の葬式を執り行ったからでした。

しかし、出家者が葬儀の導師になることは、お釈迦様が禁じていましたから、

本来、在家信者の葬送儀礼はありませんでした。

 

そこで出家者同士で弔う儀礼を応用し、故人をまず僧にしてから葬儀を行うようにしたのです。

戒名をつけるのも、僧になったことを示すものです。

葬儀の内容は宗派により違いますが、多くの宗派がこの構成をとっています。

但し、浄土真宗は、臨終と共に極楽浄土に往生したと考えますから、葬儀は阿弥陀如来への報恩の儀礼となります。

 

そんな訳で、今時はお寺の住職さんらも在家信者みたいな感じで、

政教分離で公的支援が受けられない事やら宗教離れに、お寺自体継承者がいないとか、

支える檀家数の減少などで僧侶も別の仕事と兼業していたりしますが、

基本的にお寺に葬儀の相談に行って「うちは戒名無しで結構です」と言うのは筋違い。

お釈迦様が禁じたこの事を知らないからだと思います。

私も9年位前まで知りませんでした。

そんな訳で、お寺の方でも戒名料を別にせず、それらを込みでお布施として頂くようにしたようです。

 

さて、そうして仏式の葬儀でよく読まれる「空(くう)」を説いた般若心経について、

現代語訳も概要欄に書かれている動画を見つけましたので、ここに貼っておきます。

 

あらゆる存在は空(くう)を特質としているから生じることも滅することも無く、汚れることも清まることも無く、増えることも減る事も無い。

身体も心も存在しない、と書いてありますね。

また老いて死ぬことも無ければ、老いて死ぬことが尽きることも無い…と逆説的、矛盾したところもあり、哲学的思考へといざなうようです。

最後には羯諦(ぎゃてい)を繰り返しますが、そこは

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、悟りよ、幸あれ」と訳されていました。