『法然と極楽浄土』展 感想 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

昨日、令和6年(2024年)5月5日に鑑賞してきた東京国立博物館(通称:トーハク)で開催中の「法然と極楽浄土」展の感想。

会場で借りた音声ガイドで聞いた話や関連する浄土宗のお寺の公式サイトなども合わせて書きます。

 

剃刀を呑む夢

時は平安時代後期。末法の世。

美作国(今の岡山県)に子宝に恵まれない夫婦がおりました。

そんなある日、妻が剃刀(かみそり)を呑む夢を見ます。

そして懐妊が分かり…だったか、懐妊した後で夢を見たか順番はよく覚えていませんが、ともかく、剃刀といえば、僧侶が頭髪を剃るのに使うものだから、きっと、このおなかの子は将来僧侶になるに違いないと喜んだと言われています。

そして月満ちて長承2年(1133年)押領使・漆間時国(うるまのときくに)の子として生まれたのが、勢至丸、のちの法然です。

 

父を殺され出家

9歳の時に父を殺された法然は、父の遺言に従い出家し、比叡山延暦寺で修行しますが、なかなか父を殺した者を赦せず、勉学にも身が入らずにいました。

 

そんな子供の頃に理不尽に親を殺されて、許せるはずも無いのが普通だと思います。

それでも悲しみや憎悪を昇華し、後に貴賤や性別を問わず全ての人々を救う仏の教えを広める名僧となったのが尊いと私は思いました。

源信の『往生要集』 極楽浄土の希望から

展覧会場では『往生要集』2帖 平安時代承安元年(1171年)京都・青蓮院所蔵が一番始めの展示物でした。浅学な私には何が書かれているのか読めませんでしたが、音声ガイド等によれば、源信(げんしん)という僧侶が著した、死後、阿弥陀如来が創った一切皆苦の美しい風景が広がり心地よい音楽の流れる「極楽浄土」に行きたければ、阿弥陀如来に帰依するという意味の「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えよと説いてあるようです。また仏教をないがしろにし殺人や飲酒といったことをした人が落ちる「地獄」についても書かれているそうです。​​​​​​
で、法然上人は人々からの問いにも答えていたそうで、
「お酒は飲んじゃ駄目ですか?どうしても人に招かれて断れない事があるんだけども…」という質問には、

「本当はお酒飲んじゃ駄目なんだけど…しかしそれは世の習いである。」と答えたとか。

 

 

国宝・綴織當麻曼荼羅は巨大で茶色かった

こうした展覧会って、全体的に作品保存の為、照明が暗いのですが、彫像はともかく、織物は、国宝の「綴織當間曼陀羅(つづれおりたいままんだら)」という中国・唐又は奈良時代・8世紀のもので奈良県當間寺所蔵品(東京初公開)が見られるまたとない機会でしたが、会場が照明暗めにしてある上に今では画面がほぼ茶色になっていて何が織り込まれ描かれていたのか分かりませんでした、

でも、実物の大きさがよく解りました。

当時これだけの大きさの綴れ織りで曼荼羅図を制作するのも大変だったと思われます。

それを写した曼荼羅図は、もっと小さいサイズで彩色も残っていたのが見られて、何が描かれていたのかが分かりました。

 

話が長くなるので取りあえず、ここまでを投稿しますね。 (つづく)

 

↓写真は本館裏に広がる庭園の風景

↓この写真からは見えにくいけど池があります。

↓五重塔は人が入れるサイズではありませんが、人知れず本館裏の庭園の片隅にありました。