今年のNHK大河ドラマは平安時代の紫式部の生涯を描く「光る君へ」だし、
最近は「陰陽師0」とかいう映画も公開されたり、エンターテイメント的にではありますが、平安文化が注目を集めている気がします。
現実にも、2024年4月20日のニュースによると、
平安時代末期から鎌倉時代の歌人である藤原定家(1162-1241年)が記した、
古今和歌集の注釈書『顕注密勘』の自筆原本が、定家の流れをくむ京都・冷泉家で代々継承されてきた「古今伝授」の箱から見つかった、とありました。
蔵で保管され、約130年もの間開封されなかった秘伝の箱。
それは古今集の解釈などを伝えているようで、江戸期に関連書物が箱に入れられ、極秘扱いになったとか。
国宝級に貴重なものが発見された訳ですね!
「光る君へ」は私も視聴していますが、ドラマだから安倍晴明が政権争いで暗躍し、帝の寵愛した妃と身ごもった子を呪詛して…という場面もありました。
でも、あれはあくまでドラマを面白くする為のエピソードであって、
『日本の呪術』繁田信一・著には、
安倍晴明は、藤原道長の日記によれば、寛弘元年(1004年)に、「五龍祭」という呪術によって大雨を降らせたりしたことやらの記録があり、五穀豊穣の為の降雨祈願や道長の娘やら誰かを呪詛から守ることはあっても、誰かを呪詛の標的にすることはないと書かれています。
むしろ陰陽寮に30人ほどいたはずの朝廷に仕える貴族の身分の陰陽師らは、
安倍晴明を始め、そうした呪詛の呪術を手掛けることを徹底して避けたらしい。
かなりの凶悪犯罪と見なされる呪詛への陰謀への加担は地位だけでなく命を失うことにもなるから。
律令制の賊盗律では、呪詛による殺人を企んだ者が呪物を標的とする者の家の床下に設置するなどして実行し、その人が本当に死んだら、斬首刑だったそうです。
そんな訳で凶悪犯罪でも金の為と割り切って呪詛で荒稼ぎする陰陽師というのは、
庶民の身分で、課税を免れる僧侶の格好をしていた外見だけ僧侶の「エセ坊主」である。
それゆえ平安時代の人々は庶民の身分の陰陽師を
「法師陰陽師」「陰陽師法師」「陰陽法師」「僧陰陽師」などと呼んでいた。
藤原道長を最初に標的とする呪詛を行ったのは、
安正(あんしょう)という法師陰陽師で、式神を操るものであったらしい。
もちろん法師陰陽師もそんな悪い人ばかりでなく、普通に年中行事などの折に賀茂川の河原に集まって一斉に禊祓を行う機会など、数百人規模で陰陽師も必要なので、そういう時は、ほとんどが庶民の身分の法師陰陽師だったと思われるようです。