※一度、投稿しましたが、記事が長くなって続きを書くにあたり、見直して、所々修正いたしました。

 大国主命は多くの神々

大国主命は須佐之男命の子供とも6代目子孫にあたるとも言われています。

別名も沢山あり、妻が6柱で子が180柱と沢山いて、6代目子孫だけど、須佐之男命の娘・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)に助けられ正妻にしました。

他にも須佐之男命と天照大御神が誓約で産んだ宗像三女神のうちの田心姫命も大国主命の妻になりました。

何度も死んでは蘇ったり、ご先祖様を妻にして子供をもうけているという神話から、大国主命は多くの神々がまとめられた神だとされます。

大国主神と因幡の白兎

 大国主命の別名

  • 大穴牟遅神(おおなむちのかみ)
  • 葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)
  • 八千矛神(やちほこのかみ)
  • 宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
  • 大物主神(おおものぬしのかみ)
  • 国作大己貴命(くにつくりのおおなむちのみこと)
  • 葦原魂男神(あしはらのしこおのかみ)
  • 八千戈神(やちほこのかみ)
  • 大国玉神(おおくにたまのかみ)
  • 顕国玉神(うつしくにたまのかみ)
  • 大己貴命(おおなむちのみこと)
  • おおなもち
  • 大黒天

大黒天は外来の神様と習合した時の名なので、ここでは説明を省きます。

「おおなもち」というのは出雲国風土記に出てくる名前だとか。

「おおなむち」が伝わる時にそう聞こえたからと考えられます。

それにしても、どうして多くの神様をまとめられることになったのでしょう?

当ブログの神道の歴史テーマでも書きましたが、ざっとおさらいすると…

 

 

 ア二ミズム(精霊信仰)から

縄文人は山や木や岩、雷、蛇など、あらゆるところに存在する霊(アニマ)を信仰した。八百万(やおよろず)とは800万という数ではなく、数えきれないほど多いという意味だ。

この考えが今の神道に繋がっていく。

 古代の村落の祭り

古代には血縁で結ばれた集団が集落をつくって農業を営んでいた。

それは弥生時代(3000年から1800年前ごろ)の遺跡からもわかる。

人々は集落の首長(宗教的指導者)のもとに、その集落の守り神を祭っていた。

その頃には、自分たちが生活する土地を開墾した祖先の霊や集落を取り巻く自然物の霊がまとまって集落の守り神になると考えられていた。

そういった神は「御魂(みたま)」(あるいは「御霊」と書くこともある)と呼ばれていたらしい。

 

 貧富の差から祖霊信仰、大国主命信仰の原形

弥生時代に農耕生活が広まったことによって、貧富の差が生じ、一つの集団の祭司と指導者を務める首長が力を持つようになった。

そして彼らの手で農地を開墾した祖先たちの霊を重んじる祖霊信仰がつくられた。

これをもとにして祖霊の力を象徴する大国主命信仰の原形がつくられていった。

 

 国魂ー国とは大地ー

「みたま」と呼ばれていた守り神は、ヤマト政権が国の大半を統一した頃には、

「土地の守り神」を意味する「国魂(くにたま)」の名前を持つようになった。

その当時の「国」とは国家の事ではなく「大地」を表わしていた。

《続く》