笑う門には幸来る、ねてもさめてもにこにこと
苦虫を嚙み潰したような顔、
とがった声、
それがどれほど自分の心を暗くし、
家庭を暗くし、
世間をも暗くする事か。
努めても にこにこと笑いましょう。
先(ま)ず自分の心が明るくなり、
やがて家庭も社会も朗(ほが)らかになる。
天の岩戸は笑いで開(あ)けた。
笑う門には福が来る。
曇りなき心の鏡に映る私達の笑顔を、
神様はいつも見守っておいでです。
(神社のおみくじの神の教より)
私なりの解釈
これは、私には耳の痛い神様からのお告げ文ですが…いや、本当に私にとって気をつけたほうが良い点なので、ありがたいお言葉です。
そして当ブログタイトルの「心の鏡」がここにも出てきました。
このところ信仰グループ別神社を投稿してまいりましたが、それらを調べていくうちに、記事では仏教の話に至るので話が脱線するだろうと考えて触れなかったのですが、山王信仰ー山王神道ー天台宗の繋がりで、天台宗の教えの中には、
「みんな一人ひとりの心の中に仏様は宿っていて、誰だって悟りを開く事ができる」というのがありました。
その時、神道の、この「心の鏡」、「かがみ」から「が」を抜けば「神」になる、「内在神」と重なる所があるなぁと感じたものです。
もしかすると山王神道から「心の鏡」の思想が発生したのかもしれないとも考えました。