先日、大宮氷川神社へお参りした時の話の続きですが、
絵馬を掛けたところは、御嶽(みたけ)神社と言って、
大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)という
国づくり・国土経営の神様が祀られている社の前にありました。
それで、絵馬を奉納した後に参拝しました。
隣に門客人(もんきゃくじん)神社と言って、ここでは須佐之男命(すさのおのみこと)の妃・稲田姫命のご両親である、足摩乳命(あしなづちのみこと)と手摩乳命(てなづちのみこと)が祀られていますので、そちらにも参拝。
ところでこの門客人神社は、「元はアラハバキ神社だった所を後から来た出雲族に乗っ取られた」と吹聴している方々もネット上に見受けられましたが、本当にそうでしょうか?
来たる令和10年には御鎮座2500年を迎えるという歴史ある神社で、大宮という地名の元になった「大いなる宮居」です。
一の鳥居がどこかと言えば、さいたま新都心駅の方で、その本来の神域の広さ、参道の長い距離を知り、わずか数百年前の江戸時代にはアラハバキ社がそこにあったのを記す地元の風土記の絵図や、少し離れてはいるけど同市内の中山神社に今もなおアラハバキ神が祀られている事を考えると、あとから来た出雲族に乗っ取られたって言うのは、ちょっとおかしい。
普通に歴史を振り返ってみて、明治維新が起きて江戸(東京)が首都となり、
明治天皇が都をうしはいている武蔵国一之宮・大宮氷川神社に幣帛を奉り行幸されることになったので整えたんだと思います。
それでまた参拝の話に戻しますが、
それから私の大好きなお酒・酒造の神様、鏑矢を射る神、大山くいの命が祀られている松尾神社もお参りして、引いたおみくじに「稲荷神を信心すべし」ともあったので、稲や食物などの神様、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られている稲荷神社へお参りすると、もう夕方になって風も冷たく吹いてきた頃だったからか、扉は閉められていました。
そこで開いている時にお参りした時の本殿内をイメージしながらお参りしてきました。
そして戻る時、外国人の男女が赤い鳥居が連なりトンネルのようになっているところで撮影していたのに、私が入ってしまって、あちらの方は撮り直してました。
『あ!悪い事しちゃったな』と思ったけど、何語で何て言ったらいいのか分からなくて。
何となく中南米か、中近東か、インドあたりの人かな?という感じで、どこの国の人か分かったところで、「ごめんなさい」の英語の言葉さえ、もうパッと出てこなくて、言うのに完全にタイミングを外してしまった。
外国人にとって、あの朱い鳥居が連立して奉納されトンネルのようになって神への道になっているところは、注目度が高いと聞いた事があります。伏見稲荷大社のとか。
あの氷川神社境内の稲荷神社の朱い鳥居も異国の神秘的な空間として、おそらく動画で配信されることでしょう。
そして最後に宗像神社にお参りしました。
昨年末、宗像大社から我が家にお越しいただいた御札の事と持っていた水守りを出して、御守護を頂いている御礼を申し上げてきました。
帰路についたら、電車が人身事故やらで運転を見合わせていたので別の路線から帰ろうとして乗ると、そっちも途中で先の駅で何かあって滞り、しばらく途中駅で停車していたり、『夕飯の支度する時間までに間に合うかしら』と焦りましたが、結果的に大丈夫でした。