三種の神器の理解、近世に入ると…
山鹿素行の解釈
山鹿素行は『中朝事実』で神器に特に一章を立て、
玉は温仁の徳、鏡は致格の知、剣は決断の勇にそれぞれ配して、
これらの三徳はその象(かたど)るところ、全て天神の至誠に他ならない。
そして悠遠の昔にあっては、まだ三徳の名が無かったために、
この三徳の義を霊器の上にそれぞれ象徴させたと見るのであった。
さらに『日本書紀』の記述から、常に「玉及鏡剣」とある事実に着目するとき、
天下治平の要諦は御統(みすまる)の玉の象徴するところにあり、
これが天子の任であり、だからこそ玉を神宝の第一に位置づけるのだと解釈した。
玉木正英は
そして垂加翁正伝である『三種奥秘伝』において玉木正英は、この天子を守護するのが宝剣の徳であり、臣下の任、臣としては君の御心がどうあろうとも守護の満ちは欠くべからずとした。
竹内式部は
同じく垂加門流に連なる竹内式部は、その著書『奉公心得書』の中で、
「君を怨み奉る心の起こらば天照大神の御名を唱ふべし」という楠木正成の言葉を引き、本心の誠を尽くして天命を待つところに臣子の分があるとしている。
吉田松陰は
吉田松陰は『講孟剳記(こうもうさっき)』にて、
「神器と正統と善く見ざれば二本になるなり」という視点から、
神器がある所は必ず正統で、正統のところに必ず神器あり、
神器と正統を別々に見ては神器の本義を見誤るとして、
「神器は正統の天子の禅受する所なれば、君臣上下死を以て固守すべきこと、すみずみまで明らかである」と論じている。
以上です。
二種の宝
実は先日、私が東京大神宮にお参りしてから、どうも気になっていた数字が「2」でした。
そこでは御朱印を受ける時に引き換えの番号札を渡されるのですが、それが222番で、まあ、それだけなら偶然ですが、帰宅後も、翌日以降でしたか、ふとデジタル時計を見た瞬間が22:22で、さらに別の日の明け方見た夢で「22日に病院に(夫の)付き添いで来てね」と見知らぬ医者に夫婦で受診していて言われて目が覚めたりと、
22日が過ぎるまでは『何かあるのかなぁ?』と警戒していたものです。
エンジェルナンバーを調べたら、奇跡が起きるとかで、悪い事は書いてなかったし、
実際、息子が出雲大社に旅行に行って21日夜から22日になる頃には勾玉のお守りを頂く事が出来て奇跡的に良い事があったと思いました。
それから「出雲の祈り」という、その美保岐玉(勾玉)ストラップお守りを手にして眠り、後日、三種の神器について改めて調べてブログに書いているうちに、
『日本書紀』でも継体天皇紀において大伴金村大連(おおとものかなむらのおおむらじ)がひざまづいて、天子(すめらみこと)の鏡剣の御璽(みしるし)を奉りて…とあって、「神祇令」でも「忌部氏は神璽の鏡剣を奉れ」とあり、忌部氏の『古語拾遺(こごしゅうい)』でも、八咫鏡と草薙剣を「二種神宝」としているという事などが出て来て、もしかして、この事を伝えるための数字だったのかなと思いました。
おそらくは『顕幽で分けてみなさい』と。
本当は日本は3より2の方が聖なる数だったのかもしれません。
3,5,7は大陸由来の聖なる数で、それに合わせて玉を加えて三種にしたという話ですから。