さて、お盆と言えば、亡くなった人の霊魂が家に帰って来るので、迷わないように迎え火・送り火をするという設定ですが、これについて私は常々疑問があります。

 

亡くなった人が霊魂だけになって家に帰ってくるって言われても…普通は確認しようがない世界のことですし、科学の発達した今、本気でそれを信じているとか霊魂が見えたという人は世間の人達から冷めた目で

「はやく、その手の病院に行った方が良いよ」と言われることでしょう。爆  笑

 

さらに言えば、一生独身で住んでいた家が借家(特養老人ホームや高齢者住宅なども含めて)だったなら、その部屋にはもう別の人が住んでいるかもしれないし、

建物が老朽化して壊される可能性もある。

(実は私の叔母がそうです。今年初盆ですが、永く借りていた住まいは、その死後、取り壊されてますし、そもそも迎え火する伴侶も子孫もいません)

 

「そういう時は本家に還る」と言う人もいるけど、

初盆といっても迎え火・送り火をしてくれる子孫がいない本家という事もある。

少子化ですからね。本家が絶家も有りえます。

 

まあ、無縁仏は施餓鬼会で供養されるようですが。

 

これまでのお盆の迎え火・送り火・死後の世界観と先祖供養の習俗は、

生きている子孫がいて、親・先祖を亡くなった後も偲んだり敬愛できるくらい生前からの関係が良好で、そして持ち家があるのが前提になっているようですが、

実情は無理になってきている人も多いし、皆いつまで続けるつもりなんだろうなぁと思います。

 

例えば、地域によって習わしも色々ありますが、

お盆の迎え火は、菩提寺のお墓の前から提灯に火を灯して家まで帰り、家の仏壇のろうそくに火を移して灯すという方法があります。

今でもお盆の季節になるとスーパーで一応少しは提灯も売られてはいるんですが、危なっかしいですよね。提灯の中の蝋燭が倒れて燃えてしまいそうで。

うちも提灯の中の蝋燭も短いのを用意してやったことがありますが、台風が来たり天候が荒れている時は、お墓から提灯持って帰るのが無理で、玄関先で苧殻を焚く方法にしたので、短い蝋燭が余ってしまいました。

たぶんそれは、昔、家督を継いだ子が寺院墓地のお墓と自宅が近くて歩いて帰れる距離にあり、夜に出かける時には街灯も無いから提灯を持つことが普通だった時代に出来たんでしょうね。

お寺のほうでは、提灯の火が持ち帰る途中で消えてしまったとしても、慌てないでいい。墓前で火をつけたという動作をしたことで、既にご先祖様は分かってらっしゃるから、と言っていましたが。

 

また、親を亡くして初盆だって言っても菩提寺から遠くに子世代の自宅がある場合や、提灯は危ないと思う場合、どうするのか?

そういう時は、玄関先で苧殻(おがら)を焚くか、

今時のマンションなどの集合住宅では家の庭が無かったり、玄関前は共有通路で防火のため火を焚けないので、その代わりホウズキを飾るとか。

 

それから親と子で、あるいはや兄弟が仲が悪かった場合や、身内が宗教に騙されたりして否定的な思いを抱く人が、

「なんでそんなに先祖供養しなくちゃいけないのか?」

と、ネット上の質問コーナーに疑問を投稿しているのも見かけました。

 

ご先祖様を大事に供養すると功徳があり、粗末にすると良くないとか家が栄えない、罰が当たりますっていうのは、意味を直訳すると、たまにはお坊さんにお布施持ってきてちょうだい、お墓の管理も自分の家のぐらいはやってちょうだいという事だと思われます。

ですから、そこまで嫌なら、やらなくてもいいというか、精神衛生上もやらない方が良いのではないかと私は思いました。