神道の始まりは…

 結論から言って、神道の始まりは、旧石器時代なのか?縄文時代なのか?弥生時代なのか?考古学や現実の歴史と日本神話を照らし合わせて明確に言うのは難しい事です。

江戸時代末期の国学者・平田篤胤は、著書『霊の真柱』で

大虚空(おおぞら/今で言う宇宙空間でしょうか)に、

造化三神が現れて…と、宇宙の始まりから日本の神々が存在し、太陽と月と地球がひとつのものから分離するという成り立ちを解説していました。

現代の天文学では、地球とその衛星の月の誕生については、まだ研究中で諸説あるようですが、その中に月は地球から分かれたのでは?という学説もあって興味深いものです。

ただ『霊の真柱』で読んでいると、柔らかな餅がちぎれるような穏やかな分離みたいですが、現代天文学説だと隕石やら衝突して星の一部が欠けて衛星が出来上がっていくとか爆発的な激しい生成過程なのが違うところです。

イザナミノミコトが火の神の出産で亡くなって行った黄泉(よみ)の国は、夜見の国、すなわち月のことで、月読尊も月夜見命として素戔嗚尊(須佐之男命/すさのおのみこと)が夜見国に降(くだ)ってからの名前という事になってました。

また、高天原から地上を望める「天の浮橋」も川に架かっている橋のような形じゃなくて「空飛ぶ船」のようなものだろうと解釈してました。

まだ飛行機も無かった江戸時代において、この想像力!

 

しかし神道の始まりは本当にかなり昔にありそうで、

実際、現代に続く神社の中には縄文時代からの遺跡、祭祀具らしきものが出土される所もあり、私が2022年5月にお参りした東京都内の王子駅近くにある七社神社なんかも、縄文時代の遺跡・石棒などが、その地域から発掘されたという事ですから、神道には始まりがいつか?の答えは今のところ無いですが、およそ1万年前の縄文時代からの信仰も含まれながら時代とともに変遷しつつ伝わっているのではないか?と、思います。

そして神道の始まりは前時代の宗教を否定しなかった、

あるいは否定し反旗を翻した痕跡・史実・教義・教典が無いのです。

私はここに日本の自然崇拝・祖先崇拝の神道の穏便さ、ある意味、自由民主的にも感じる良さを感じる次第です。

自分の祖神、氏神、信じる神を祀っていい、それで異端者と罰せられる事もない。

 

そこで参考に仏教とキリスト教の始まりを、ものすごく簡単に説明しますね。

 

仏教の始まり

仏教は紀元前500年ごろに釈迦が教えを説いた事に始まりました。

釈迦が29歳で出家し6年に渡る厳しい修行を経て、

悟りを開いた者であるブッダ(仏)になり、

かつてともに修行した5人の僧に教えを説きました。

これを「初転法輪(しょてんほうりん)」と言い、

その後、多くの宗派に分かれた仏教ですが、

その全ての起源は、この釈迦の最初の説法にあるのが明確です。

ちなみに「法輪」とは仏教の教えの事で、迷いや悪い心を打ち砕くことを戦車の車輪にたとえたものだそうです。

 

釈迦が新たな教えを説き始めたのは、その時代背景にインド社会が発展し、そこに住む裕福な人々が従来のバラモン教の教えに疑問を抱いた事がありました。

 

 

キリスト教の始まり

次にキリスト教ですが、1世紀にイエス・キリストが教えを説いたことが始まりです。

こちらも、その歴史的背景としてイスラエルがローマ帝国の支配下に入った事などから社会的不安が広がり、それまでユダヤ人の精神的支柱となってきたユダヤ教にも改革が求められた事があります。

 

【図解】はじめての神道と仏教 渋谷申博・著より引用

 

 

そしてイエス・キリストは磔の刑に処せられてしまいました。