当ブログで3番目に表示回数が多かったのが、
『平安京を護る東の厳神、西の猛霊』の記事でした。
この件は読者の方に興味を持たれているらしいという訳で、今度はもっと詳しく書いていきたいと思います。
まずは平安遷都までの経緯を簡単におさらいします。
桓武天皇は延暦3年(784年)、
仏教勢力の弊害が顕著となった奈良の平城京から、
山背(やましろの)国の長岡京に遷都されました。
しかし桓武天皇の腹心で長岡京造営を主導した藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が暗殺される事件が起きました!
そして皇太弟(桓武天皇の弟)である早良(さわら)親王が、
その暗殺事件への関与を疑われ、廃太子となり、
淡路島への配流の途中で薨去(こうきょ)されます。
身の潔白を主張し恨んで絶食して自害したとも言われています。
早良親王の薨去後、
皇太子・安殿(あて)親王(のちの平城天皇)の病気
桓武天皇の母や皇后・夫人が相次いで亡くなられるなどの不幸が起こり、長岡京はなかなか完成しません。
他にも疫病の流行や洪水なども相次ぎ、
これらの不幸は早良親王の怨霊によるものと噂されました。
そこで桓武天皇は延暦13年(794年)に長岡京より少し北に位置する今の京都に遷都し、平安京を造営されました。
山背国の国名も、その際に山城国に改められました。
…と、まあ、藤原種継を暗殺したのが誰なのか?
早良親王をその暗殺者との関与の疑いをもたせて、罪をなすりつけた黒幕は奈良の都の時に幅を利かせていた仏教勢力じゃないのだろうか?密教系の呪詛か?と推理してみたものの詳しくは分からないので次に行きます。
都を護る神として崇敬された神
遷都に伴っては、その国に古くから鎮座する神社が都を護る神として尊崇されるようになります。
長岡京遷都では、山城(山背)国に古くから鎮座する
賀茂氏の氏神である賀茂下上社(かもげじょうしゃ)に神階従二位が贈られ、
秦氏(はたうじ)の氏神である松尾社(今の松尾大社)には
従五位が贈られ、社殿が修理されました。
※賀茂下上社とは賀茂御祖神社(下賀茂神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)のことで、両社とも賀茂県主(あがたぬし)一族(賀茂氏)によって奉斎されてきました。
平安京遷都の前年には賀茂社への遷都の奉告がなされ、
大同元年(806年)には神階正一位、勲一等が贈られました。
(つづく)