今年もまた神社検定まであと3か月弱となりました。

私も昨年弐級を受けたのですが不勉強だったので惨敗しましたから、てへぺろ

この日本の、そして神道の永~い歴史を学ぶには、しっかり勉強しないといけないと反省し、このブログに神道の歴史を投稿する事で怠惰に流れないようにしてきましたが、もっと急がないと間に合わないんじゃないかと焦り始めました。

とは言え、特に、この民間資格の検定に受からないと進学や就職が出来ないとか差し支えがある訳じゃありません。

不合格だったところで自分でちょっと劣等感を感じて受験料無駄にしたような悔しい気分になるだけで実害は少ないのですが。

 

今50代半ばの私。実に40年ぶりくらいの学び直しです笑

はるか昔、私がうら若き乙女だった高校生の時には、普通科の高校でしたが社会科目は確か世界史と日本史と倫理の3つのうちから選択するようになっていて…高2からだったかな?私は宗教関係に興味があって、日本史や世界史じゃなくて倫理を選択したんですよね。そこで仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の事などをほんの少し大雑把に教えてもらいました。

あと兄がキリスト教系の高校に通っていて家に聖書があったので、それも読んでいましたね。

神道は子供の頃絵本や児童書で因幡の白兎とか日本神話を読んだり、

七五三とかお正月の鏡餅とか初詣とかでもそうですが、すっかり生活の中に浸透していたので、信仰している意識も無くて、でも、気がつけば私は神道の中にいたという感じです。

 

学ぶと、自分がいかにこれまで無知だったかを知りますね。

 

また自称霊能者・スピリチュアルカウンセラー・占い師らのいう事も

儲けの為のビジネス、詐欺、人を脅して恐喝まがいの事をしている人の嘘だったり、

善良でも実はその人たちが不勉強で誤解している部分があるとか、

過去に酷い経験があって精神的にダメージを受けて人格的に問題がある人の虚勢とか、偏った独りよがりな考えだったり、

神仏の声が聞こえるとか姿が見えるという人も、

神社や寺の境内やら場所に残った、そこに来ていた人々の残留思念を拾いとっていたり、自分の妄想・願望なんだけど、それを神の声・姿としてイメージを膨らませているだけってケースもあるんだなぁという事も段々分かってきました。