上皇を中心に院政が行われた中世社会には様々な勢力が出現し、
なかでも武士を中心として展開していきますが、
1156年・保元の乱や1159年・平治の乱を経て頭角を現したのが
桓武天皇の子孫にあたる武士団の長・平清盛でした。
出家した平清盛
その平清盛が篤く信仰したのが安芸国(あきのくに・今の広島県西部)にある宮島の
厳島神社というのはご存じの方も多いかと存じます。
現代では世界遺産に登録されました。
通称、安芸の宮島。御祭神は宗像三女神です。
古くから神の島として信仰されていた宮島は、古(いにしえ)には誰も住むことを許されず神様を斎(いつき)祀る島として「厳島」と呼ばれたのだとか。
清盛の厳島神社に対する崇敬は、久安2年(1146年)に安芸守(あきのかみ)となり、社殿を修造し一族の守護神としたことに始まると言われています。
荘園や宝物を奉納し、平氏一門と公卿は度々参詣されました。
承安(じょうあん)2年(1174年)には後白河法皇と建春門院(けんしゅんもんいん)
治承(じしょう)4年(1180年)には高倉上皇が参拝など。
しかし「驕(おご)る平氏は久しからず」
源平の争乱の時代を迎えます。