荘園の増加と神々の勧請
開発領主が当時の未熟な農業技術と飢饉などの為に税負担に耐え兼ね、
貴族や大社寺に土地を寄進して税逃れ…という、そんな訳で荘園が全国的に増加しました。
特に、神宮、賀茂社、春日社、石清水八幡宮などは、皇室をはじめ公家・武家からの寄進が多く、所有する荘園が全国に及んでいきます。
そうした神社の荘園の発展によって、神々が地方へ勧請された訳です。
神社の所有する荘園にはその神社の御祭神の神々が、
寺院の荘園にはその鎮守神が勧請されて行きました。
二十二社など荘園が多い神社は全国各地に勧請され、その地方の有力神社へと成長していくことも多くみられました。
御厨(みくりや)
川や海に面した荘園で魚介類を神饌として貢納する所を御厨(みくりや)とも称されましたが、その言葉の使用は神宮や賀茂社など限られていたようです。