宮寺ー奈良の大仏の頭部落下事故と八幡宮ー

 

 斉衡(さいこう)2年(西暦855年)

 

奈良の東大寺の大仏の頭部が落下するという事故が発生し、朝廷は修復工事をしますが、その際に大仏建立時に宇佐八幡宮の神助を願った事に習い、再び八幡神の助けを願いました。

 

 

 貞観(じょうがん)2年(西暦860年)

宇佐八幡宮に参詣した奈良・大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が宣託を受ける

 

 貞観3年(西暦861年)

平安京の南西方面に位置する男山に八幡大菩薩を勧請しました。これが石清水八幡宮の創建です

 

 

 

八幡神は第15代応神天皇とされ、皇室の祖神(皇祖神)にあたります。皇室の外戚の祖神を祀る神社が公祭に列せられる中、皇祖神である八幡神も同様に重視され、平安末期には「第二の宗廟」として尊崇されました。

※公祭についての当ブログ記事はこちら

 

宮寺(みやでら)ー神社と寺院の融合ー

石清水八幡宮は、創建から僧侶が関与し、僧侶が中心になって経営され、神社と寺院が融合した特殊な存在でした。

このような形態を宮寺(みやでら)と言い、別当(べっとう)以下の社僧によって組織されていました。

社僧とは、神社や神宮寺に所属して仏事を修する僧侶の総称で、別当はその長にあたります。

石清水八幡宮の場合は、のちにその上に社寺の事務全般を総管轄する「検校(けんぎょう)」が置かれました。

祭祀も神仏習合で神事を仏事に組み入れた仏神事が行われ、正式名称は明治維新まで

「石清水八幡宮寺」でした。

宮寺制の神社は他にも出現し、神仏の習合化はさらに進展し、10世紀ごろには本地垂迹説が成立します。

 

本地垂迹説の当ブログ記事はこちら

 

…と、いつもの「神社のいろは・続」に書かれていましたが、

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも鎌倉にある鶴岡八幡宮が出て来て、

源頼朝の孫である公暁が僧侶で鶴岡八幡宮「別当」という位でしたね。

という訳で2022年4月に撮った鶴岡八幡宮の鳥居の写真です。狛犬もマスクしてました。