今日は初午の日という事で、私も「おいなりさん(稲荷寿司)」を買ってきて一つ神棚にお供えしてから頂きました。美味しかったです。

今日は全国多数ある稲荷神社で祭事が行われていることでしょうね。


さて、平成時代の中頃からですかね?節分・恵方巻の宣伝・販売が激しくて、

その前の昭和時代から2月14日のバレンタインデー商戦が始まり、

初午の日は影が薄くなってきているような感じがするのですが、

お稲荷さんこそ商売繁盛の神様でもあるのに、もうちょっと初午の日、初午祭、稲荷寿司が注目浴びても良いと思うんですよね。

でもなぁ~、あの節分の恵方巻たるや、今では豪勢な具を太巻きにして1本丸かぶりするのも容易でないサイズと千五百円を超す高い値段になっているのもあって、私には手が出せなかった。

それを考えると、これから稲荷寿司がそんな風に超豪華で1個当たりの値段がやたらと高くなるのも何だかなぁ~。

 

 

稲荷神社の主祭神は宇迦之御霊大神

 

全国的に稲荷神社は数多く、多すぎて正確なデータじゃないかもしれませんが、4万とか7万あると聞いた事があります。私も全国を回って数を数えたことが無いので何とも言えませんが、別名の神社内に摂末社としてもよく見られますし、個人宅の敷地内に屋敷神として祀られているのも見たことがあります。

 

総本社 伏見稲荷大社

 

主祭神 宇迦之御霊大神(うかのみたまのおおかみ)

又は保食神(うけもちのかみ) 御食津神(みけつのかみ) 倉稲魂大神(うかのみたまの大神の漢字表記は多くある)など。 

変わったところでは、福島県福島市にある福島稲荷は、伏見稲荷からの勧請ではなく、伊勢神宮外宮の豊受大神が安倍晴明によって勧請されて、主祭神が豊受大神のお稲荷さんなのです。

 

ちなみに仏教系…お寺のお稲荷さんはダキニ天 平安時代に習合しました

 

赤い鳥居と狐の像が目印で、私は(白状すると)子供の頃は狐の神様だと思っていましたが(笑)、狐は御祭神の眷属(けんぞく)神の使いという立場でした。

 

「うか」「うけ」「け」とは?

御祭神名にある「うか」「うけ」「け」というのは、古くは食物を意味する言葉。

 

「いなり」とは?

「稲荷」は「稲成り」「稲生り」の意味でしたが、神様が稲を担っている姿でイメージされるようになり「稲荷」の文字があてられたと考えられているそうです。

 

元々は農業の神様だったけど…

お稲荷さんは農業の神、とりわけ稲作の神様で、古くから稲作を中心としてきた日本人にとっては親しみやすくかつ生活上重要な神様だったとか。

時代が下って商工業が盛んになると商売繁盛の神としても崇敬されるようになりまして、江戸時代になると商家や町に朱塗りの鳥居と稲荷の社が造られるようになっていきました。

また漁村では漁業の神様としても信仰されています。

 

 

稲荷と狐の関係は諸説あり

お稲荷さんと狐の関係には諸説あるそうで、

御祭神が農業神であることと関係があるとも考えられているようです。

古くから日本人は「田の神」は春に山から降りてこられ

秋に収穫が終わると山へ帰り「山の神」になると考えていました。

そこで春先になると山から人里近くに現れるようになる狐の姿を「山の神」「田の神」のお使い、ひいてはお稲荷さんのお使いとして神聖視したのだとも考えられています。

それはさきに御祭神名の所で説明した「御食津(みけつ)神」が「三狐津神」と記述されたことからも、狐を神聖視した関連が伺えます。

 

 

初午祭 

伏見稲荷大社の社伝によれば、和銅4年(711年)2月最初の午の日に、稲荷神が稲荷山三ヶ峰に鎮座されたことに由来して、毎年2月立春過ぎて初めて午の日に初午祭を行っているそうです。

当日伏見稲荷大社で頒布される「験(しるし)の杉」は、各家庭に稲荷神を招来するものとして信仰されています。

 

平安時代に仏教のダキニ天と習合した為、豊川稲荷(曹洞宗)などの寺院でも初午祭は行われています。

 

以上、参考書籍は「神社のいろは」でした

 

 

 

それで稲荷神社と狐の関係について諸説あるうちの一つなんでしょうけど、

ホツマツタエでは、何か妖術大戦みたいな事があって討伐したのち、不思議な等身大の両面姿鏡に映すと裏側にも姿が映し出されて改心させ人間の姿に戻すことができたが、どうしてもそれでも厄払いしきれなかった悪い3匹の狐がいて、東の農業神の所で番犬みたいに田んぼを護る役になったとかなんとかいう説も読んだことがありました。その両面鏡は伊勢の二見ヶ浦に置かれたので地名由来だとか。

何らかの事実を元にその後の人々が思い思いの脚色を加えて創作したのかもしれませんが、興味深い謎です。

そう言えば、最近、盾形の鏡が発掘されましたね。