歴史書「大鏡」で公祭(おおやけまつり・こうさい)と呼ばれたこのお祭りは何かというと、
天皇と姻戚関係が生じた氏族の氏神祭祀や都に住んでいた氏族の氏神祭祀と朝廷とのかかわりが深まり宮中の年中行事となる例で、
天皇が関与されますが、律令下の神祇官による国家祭祀とは別のこういった祭祀を言いました。
その最初は春日祭
奈良時代中期 孝謙天皇は母が光明皇后で藤原氏の出身であることから藤原氏の氏神である春日社(春日大社)を崇敬され春日祭に関与され祭祀を行わせました。
平安時代になると、
平野社(平野神社) 大原野社(大原野神社) 梅宮社(梅宮大社)
賀茂社 松尾社(松尾大社)
平安時代後期には、
北野社(北野天満宮) 石清水社(石清水八幡宮) 日吉社(日吉大社)
等の祭祀も公祭に加わっていきました。