『聖』と極楽往生
修験者の中でも寺院を離れて修行のために各地を歩いたり山里や人里離れた所に隠棲する人々を聖(ひじり)と言い、
彼らにとっては寺院すら世俗であり、そこから離れる事で極楽往生を願ったのだそうです。
そこには浄土教の影響も見られます。
浄土教は阿弥陀仏を信仰し、現世の不安から逃れ、
来世において極楽浄土に往生し、悟りを得て苦を滅する事を願う教えで平安中期以降、京都を中心に全国流行します。
10世紀半ばに空也が説き、次いで源信(恵心僧都)が、
『往生要集』を著して念仏往生の教えを説くと、浄土教は貴族や庶民に至るまで広まりました。
これは末法思想によって、一層強められました、
末法思想とは、釈迦の死後、正法、像法を経て、
この世に仏の正しい教えが衰滅して争いが起こったり荒廃する末法の世が来るという説で、
当時は永承7年(1052年)から末法の世に入ると言われていました。
そうしたことから厄災や世の乱れが末法の姿に当てはまると考えられ、来世での往生願望を一層高めたと言われています。
聖も山伏同様、半俗半僧的な生活を送り、山岳霊場の発達にも大きく貢献しました。
ちなみに今の浄土宗の開祖は法然で、山で修行しなくとも「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば死後は極楽往生できるという教えを説いたのは1175年のこととか。
浄土教と似ていますが、浄土教と浄土宗は似て非なるもの。
浄土教…浄土思想という考え方。最終目標は仏の正しい教えを極楽で学び、成仏すること。末法の現世から離れて極楽浄土に往生しようという思想だけで手段はない。
対象者は貴族や武士のみ。
浄土宗…天台宗の僧侶・法然が浄土思想を日本向けにアレンジした新しい宗派で、ひたすら念仏を唱えていれば救済され一般庶民でも極楽往生できると説かれる。