邦家の経緯、王化の鴻基ー稽古照今ー
ほうかのけいい、おうかのこうきーけいこしょうこんー
諸社が常設の社殿を持つ時代へと
天武天皇10年(681年)には、
「畿内及び諸国に詔(みことのり)して、天社地社(あまつやしろ くにつやしろ)の神の宮を修理(おさめつく)らしむ」と紀に記されています。
実際、それまで社殿を持たなかった諸社がこの頃から社殿を備えるようになったと考えられています。
国史編纂のさきがけ
また天武天皇は、国史編纂(こくしへんさん)も始められました。
これが、のちに奈良時代の初めに『古事記』『日本書紀』という形で結実します。
邦家の経緯、王化の鴻基ー稽古照今ー
古事記序文によれば、天武天皇はこう述べられたといいます。
帝紀や本辞(ほんじ・古い伝承のこと)は、
「邦家の経緯(ほうかのけいい)、王化の鴻基(おうかのこうき)」である。
それは国家の原理、天皇統治の基本ということです。
よって、帝紀を撰録し、旧辞を明らかにして、偽りを削り、真実を定め、後世に伝え、今を考える手本、すなわち稽古照今(けいこしょうこん)とされたのです。
稽古照今(けいこしょうこん)とは、
「古(いにしえ)を稽(かんが)えて今を照らす」ことを意味しています。
この時代の歴史書は、各氏族や朝廷に伝わる伝承や記録をもとに編纂されました。
正史としての国史の編纂は、いわば国家の先例を記録することで、絶えず今を照らす手本としての事例を整理する事でもありました。
こうした先例集をもとに、様々な法令が整理され、律令国家が形成されて国家安寧の為の祭祀制度の充実が図られていったのだとか。