神仏習合(本地垂迹説)
仏教が日本に広まっていくと、日本の神々と仏殿関係をどのように理解していくかという課題が生じ、主に僧侶の側から様々に論じられるようになりました。
そして当ブログでもこの前の記事で記した「神身離脱説」が出てきた訳ですね。
仏教では、この世のあらゆる存在は死後も繰り返して苦悩し続けるという輪廻転生(りんねてんしょう)あるいは六道輪廻の考え方があります。
しかし真理を悟った者ブッダはその輪廻転生の世界から抜け出して、その苦悩から解脱できるというものです。
その考えを日本の神祇に当てはめたのが神身離脱説で、
日本の神々も人々と同じように輪廻の中で苦しむ存在であり、
仏法による救いを求めているとするものです。
日本の神々の真の姿は仏や菩薩という考え
そうして平安時代 10世紀頃になると本地垂迹説が成立しました。
これはよく知られていると思いますが、
簡単に言うと
本地(ほんじ)
日本の神々の真の姿は仏・菩薩
垂迹(すいじゃく)
仏・菩薩が人々を救うために仮に日本の神々の姿で現れること。
垂迹とは迹(あと)を垂(た)れる=形を現すという意味です
本地垂迹の教理的根拠
その教理的根拠は、「法華経(ほけきょう)」の「如来寿量品(にょらいじゅりょうはん)」に拠っていて、
この世にあらわれて悟りを開いた釈迦とは実は仮の姿で、
本来は永劫の昔より存在していたというくだりです。
神は仏と同体
この本地垂迹説により神は仏と同体と見なされるようになりました。
また、日本の神は仏の仮(権)の現れであることから権現号が出現し、用いられるようになります。
源氏の氏神として広まった八幡神も、熊野神も、
阿弥陀如来(あみだにょらい)の仮の姿で、
伊勢神宮は大日如来の仮の姿ということで、
神社の御祭神に本地仏が当てはめられていきました。
しかし、日本の神々は元来、姿を見ることが出来ない自然で鏡や岩、木などを依り代としていたはず。
そんな訳で、神仏隔離思想も現れてきますが、その話はまた後日。