縄文時代ー自然崇拝ー

今から約1万3千年前 日本列島が現在の形になる

1万2千年前 一時的に寒冷化 植物食が活性化。土器・石の矢じりの使用が始まる

 

 

1万年前

 

 海面が上昇し始める 【縄文海進】

定住化が進み、貝塚が作られるようになる。

漆の使用が始まる

大陸からイヌが持ち込まれる

 

9000年前

対馬海流が日本海へ流入する

 

6000年前

最温暖期になる 海進が最盛期になる 照葉樹林が誕生する

貝塚の増加 漁労の発達

 

5000年前

縄文時代最盛期 気候が暖かく安定する 海面が現在より2~3m高くなる(7000~5000年前)

※青森県青森市で1992年に発見された三内丸山遺跡は約5900年~4200年前に巨大集落がそこに形成され最盛期には約500人が住んだと言われる。

 

4000年前

気候が寒くなる 貝塚が減少し始める 縄文文化の繁栄に陰り

※日本のストーンサークル 秋田県鹿角市にある大湯環状列石は4000年~3500年前の遺跡

 

3000年前

呪術が盛んになる 西日本で稲作が始まる

 

縄文時代のアニミズム

 

当ブログ記事の「御祭神が定まるまでの経緯」でも少し触れましたが、今からおよそ1万年前、狩猟採集民だった縄文人は、雷などの自然現象や樹木、蛇などの動物に霊威・霊魂が宿っていると考え、自然を畏怖し崇めていました。これをアニミズムと言います。

その頃の遺跡は八丈島にまで見られ、航海技術も持っていた事がうかがえます。

人々は集落の中央の広場でお祭りや話し合いをしたと考えられています。

そしてもう1万年前から呪術など祭祀的な事を行って災いから逃れ、より良い採取がもたらされるよう祈りました。土偶や石棒はその時に使われたのでは?と考えられます。

 

私も今年の五月に、そういった縄文遺跡が発掘された東京都内の王子駅近くの七社神社にお参りに行きましたが、1万年以上前から人々の祈りの場だったこと、それが令和の現代でも存在していることに、感銘を受けました。

遥かなる時を経ても普遍的な人々の祈りがそこに輝いているかのようでした。

 

この時代、屈葬で埋葬されていました。

また集落には秋田県鹿角市にあるような環状列石、日本のストーンサークルが作られた事例もあります。