伊勢神宮《4》お伊勢参りと御師 | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

お伊勢参りと御師

もともと神宮は、皇室の祖先神をお祀りするということから

「私幣禁断(しへいきんだん)」の制があり、神宮に幣帛を捧げられたのは天皇だけで、

皇后や皇太后、皇太子と言えども天皇の許可なしに行うことは出来ませんでした。

 

しかし平安時代末期から「御師(おんし)」という存在によって、

一般の伊勢参宮が増えてきました。

御師は「御祈祷師(おんいのりし)」などの略称で、各地の神宮崇敬者と関係を結び、

そこで祈祷を行いながら神宮の御札、御祓大麻(おはらいたいま)などを配って歩き、

伊勢信仰を普及していったのだそうです。

 

また鎌倉時代には源頼朝が神宮を篤く崇敬しました。

各地に神宮の荘園(神領)が出来、そこに勧請されて神明社(しんめいしゃ)が創建されていきました。

 

室町時代になると御師の活動は目ざましくなり、各地で創建された神明社を拠点として講が組織されるようになりました。

室町幕府の足利将軍も何度も参拝を行っています。

 

江戸時代になって世情が安定して全国的に街道が整えられると、

お伊勢参りはますます盛んになります。

庶民たちは「伊勢講」をつくり、毎月積み立てをして旅の資金としました。

それでも全員が行けるわけでなく、代表をくじで選んでお参りしました。

中には講にも入れない者が、着の身着のままで出かける事もありました。

しかし、お伊勢参りという事が分かれば、周りの人が何かと世話をしてくれて参宮を果たせたそうです。(積み立てしていたのにくじで外れて行けなかった人が不憫な気もするが)

 

江戸時代のお伊勢参りと言えば、大群衆が伊勢参宮に押し寄せた「おかげ参り」が有名です。

「天から祓いの御神札(おふだ)が降った!」などの噂に端を発するおかげ参りは、ほぼ60年周期で起きました。

特に慶安3年(1650年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年(1830年)に起きたおかげ参りは良く知られています。(と、本には書かれているけど私はよく知らなかった)

宝永のおかげ参りにはわずか2か月の間に362万人、

文政の時は半年間に約500万人が参宮に訪れたと言われています。

 

お伊勢さんが勧請されて創建された神社には、

神明神社や神明社、〇〇皇大神宮、〇〇大神宮、天祖神社などの名があります。

 

東京・六本木の新国立美術館近くにも天祖神社があるんですよ。

 

それにしても、天からお札が降ったという噂がほぼ60年周期って、干支は何だったのでしょうね?

今度調べてみよう。神宮も賑わいを増す年のジンクスがあったんだろうか?

 

【追記】

おかげ参りがあった年の干支を調べました。

1650年=庚寅 1705年=乙酉 1771年=辛卯 1830年=庚寅でした。

 

神宮司庁が1896年から取り始めた統計では、

この前の2013年(癸巳)の式年遷宮年には元日から10月12日午後2時までの集計で、

何と!1千万人を突破したそうです!

2010年(庚寅)は年間約883万人だったとか。

式年遷宮も前々回の1993年(癸酉)の年は839万人でしたが、

令和元年となった2019年(己亥)は内宮・外宮合わせて973万人だったそうです。(三重県伊勢市発表)

 

すごい!なのに私は何でまだ一度も行った事無いの~?

2013年なんて同居の舅姑(認知症)介護と、自分もがんになって具合悪くて手術も受けて、お伊勢参りどころじゃなかったなぁ。

御師の家のひとつに私の父方のご先祖様かもしれない苗字が同じ人がいらしたんで、

お伊勢様とご先祖はご縁があるのかなぁと思ったけど、やっぱりそうでもなかったのかしら。

う~ん、でも日本の総氏神様だから、いつかはお伊勢参りしたいですね。