神武天皇紀【10】国内巡幸/秋津洲/前妻がいた! | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

神武31年4月1日

神武天皇は国内を巡幸されました。

そして丘に登られ国を見渡して

「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国ではあるが、蜻蛉(あきつ)が交尾しているように山々が連なり囲んでいる国だなぁ」とおっしゃった。

これによって初めて「秋津洲」(あきつしま)の名が出来たという。

 

また饒速日命は、天磐船に乗って大空を駆け巡り、

この国を見てお下りになったので、

「空見つ日本の国」(そらみつやまとのくに)・・・大空から眺めて、良い国だと選ばれた日本の国・・・と名付けられたという。

 

最後に神武天皇42年の1月3日に、神ぬ名川耳命を皇太子とされ、

76年の3月11日に崩御された事が日本書紀に書かれている。

 

※現代の橿原神宮の公式サイトによれば、

今の暦に直して4月3日に崩御されたということで、

毎年4月3日に神武天皇祭が行われています。

 

こうして神武天皇は大和の国を立派に治められ、127歳で亡くなりました。

現在は畝傍山東北陵(うねびやま うしとらのすみの みささぎ)に眠られています。

 

以上で神武天皇紀はおしまいです。

 

と思ったが、しかし!み、見つけてしまった!

橿原神宮の公式サイトで書籍の中に漫画・神武天皇一代記というのがあって試し読みできたのですが、

高千穂で15歳で皇太子になられ、成長されて

日向国の吾田の村の吾平津媛(あひらつひめ)を后とされ

手研耳命(たぎしみみのみこと)という御子がお生まれになりました、と。

ニヤニヤあらやだ奥さん!ちょっと、ちょっと、ねぇ聞いて~

あの五十鈴さんの旦那さん、宮崎にいた若い時に奥さんと子供がいたんだってよー

ニヒヒんまぁ!そうなの?でもやっぱり50代になるまで、ずっと誰とも付き合った事もないなんて、かえって不自然だしさぁ。

ただ前妻と子供はどうしているのかしら?

ニヤニヤそれが分からないんだよねー。

旦那さんは高貴な方で、五十鈴さんも良いとこのお嬢さんで政略結婚だったから、その辺、昔の家族の話は無かったことにしたいんじゃない?

ニヒヒうわ、なんか前妻さんとお子さん可哀そう。

 

と、当時のその辺のオバちゃん達が噂して楽しんでいたのではないかと妄想しました。